「しょせん、殺したい時は歯止めが利かない」



「麻原彰晃こと松本智津夫被告の死刑判決」について
2004/03/17(※画像引用:戯画BlueForest






「しょーこーしょーこー、しょこしょこしょーこーっ♪」











「あーさーはーらーしょーこーっ♪」













「うむ、良かった良かった。これで少なからず人々の鬱憤が解消されることだろう。」





「そうだ、ザマ―ミロ!
麻原彰晃、最後くらいは惨めったらしく『ワシャあ死にたくない』とか言って良し!
まあ、さっさと死んでくれたまえ・・・!」










「・・・・・・・・・・・・・不謹慎だな、軽率過ぎる。」









「軽率なのはアンタだ、アーチャー。
感情のままに、恨みと嘲笑を込めた言葉を思い切り高らかに叫ぶ。それが許されるシチュエーションと背景が、世の中にはある・・・。
全てに優しい理想論など、この世の何処にも存在しない。誰もが認める解決策など、価値観の違う人間が2人居る時点で見出せる余地すら無い。
決定事項とは、つまるところ強者の視点の延長線上にある論理。妥協案などというものは、つまるところ強者の自我が弱者の自我を抑え込んだだけの、大勢という名の命令事項である。
他でも無い、アンタなら誰よりもそれを知っているはずだ。」





「そうそう。
世の中には死すべき人間、どうあっても許せない人間が居る。悲しみを乗り越えても、理性で抑えても、なお我慢出来ない存在というものはあるんだ。
つまり、どうあがいてもムカつく人種っ!
目に留まって止まない、心の底から憎いヤツっ!」





「それを全て理性や法的判例だけで解決出来る筈が無い。所詮、人間は感情を完全に排除して物事を考えることなど出来ない生き物。
だから、憎い時には憎いと言うのが好ましい。
ムカつくアイツを蹴りたければ、蹴ればいいのだ。
極端な話をすれば、迎撃の準備さえ整えれるなら、自分から打って出ていいというわけさっ!!
単純な暴力としての迎撃、理論武装による迎撃。その方法は多々あろうが、現代のアメリカナイズされた社会で最も強力な迎撃体制は、法的防御に違いない。
その迎撃の用意を整えることが可能な地位に居る者が調子に乗って悪行を繰り返すのも、ひとえにいざとなれば正義を覆すことが出来るから。法に守られる術を知っているからなのさ。
迎撃準備を揃えた者が、それを持たない者を常に虐げて悪びれない理由がここにある。
貧乏人がいつまで経っても大富豪に勝てないワケは、まさしくこの一点にのみあった・・・!
まあ、松本智津夫の場合は、そんな法的擁護すらも超越した憎悪という感情の坩堝による側面攻撃が強かったのでどうしようもなかったが・・・。
法と共に、道徳という観念は未だに根強い攻撃力を持つのである。」





というわけで、恨み節がひしめく世間の風潮の中で反論したところで仕方ない。それ以前に、反論する必要すら感じない。
判例など無くとも、ヤツが残虐超人だというのは一目瞭然。分かりきった終幕が降ろされだけの話なんだから、それに口を挟むなど頂けないことこの上ない。
故に、アンタは浅はかだったのだっ!!





「そんなアンタに・・・せめて贈ろう、この歌をっ!」










「あーちゃーあーちゃー、あちゃあちゃあーちゃー♪」








「あーさーはーかーアーチャーッ♪」













「・・・・・・・・・・・・・・まあ良いか。
殺したい気持ちというものは、当事者以外には分からない。そして気合だけで消せるものでも無いしな。
人間とは、かくあるべき、なのかもしれない・・・。」