イモムゥーについて
2034年、ハイバネーション処理を解除された武とココは、ホクト及びBlickWinkelによってLeMU最下層「IBF」より救出されたのだが、その救出劇の後、久々に拝んだ陽の光を背にする武に対してココが「イモムゥーしたい!」とせがむ場面がある。これはどういう意味か?
彼女の意図は凡そ見当が付くだろう。だが、この言葉に込められた真相はさにあらず。「EVER17」という名の下に考えた時、様々な波紋を呼ぶのだ。何故なら、その言葉は解釈次第で様々な意味を持ち得るからである。
そう考えた時、大きく二つの可能性が浮かび上がった。
一、文節的解釈
まず一つ、文節の区切り方から考えた場合、それは「イモムーしたい」と「イモムシ隊」という可能性が考えれられた。
前者は主語と述語、または名詞と願望の助動詞を組み合わせた文。後者はココが「イモムシ隊」という固有名詞をただ挙げただけの、対話にならぬ対話だったという可能性である。
彼女のこの台詞に対し、武は「してなさい、永遠にしてなさい。ね?」と反応している。故に基本的には前者、つまり「イモムーをしたい」というココの願望であるという説が一般的であろう。
二、「イモムーしたい」
それならば、「イモムー」とは何か?
イモムーとは「イモムシ」、つまり「芋虫」を俗語化したもの。簡単に言えば愛称だろう。そして何故ココが「イモムー」などという幼児単語を駆使したのかと言えば、「芋虫」では余りにも生々しく、また可愛らしさに欠ける為、ココというキャラには不適合だという回答が出来る。「たけぴょん」や「つぐみん」そして「ホクたん」に見られるように、全ての人間に対して愛称を付けるほどのココ。その性格を徹底させるなら、たとえ対象が「イモムシ」だとしても噛み砕いた表現をしなければならなかったのだ。そこで初めて彼女らしいキャラが貫徹出来たと言い切れる。粗を無くしより完璧に近付きたい「EVER17」スタッフとしては、そんな細かい部分すら決して無視出来ないと判断した。
故に「イモムー」という単語を用いる。それは、精神が未だ小学一年生なココだからこそ口に出来る言葉で、優や沙羅では、まして月海が口にしたとしても決して似合わないだろう。
纏めれば、こうなる。つまりイモムーは「イモムシ」の変形語。そして「ひよこごっこ」をこよなく愛する子供っぽいココ。だから彼女が、同じように「イモムシごっこ」めいた遊戯を武と一緒にやりたいとしても、それは自然体以外の何者でも無いだろう。
つまり、ココは言葉どおり「イモムーしたい」のである。大好きな武と共に、イモムシの真似事をして和みたいのであった。
三、「イモムシ隊」
ただ、ココの性格は元来から飛び抜けて異質であることも忘れてはならない。彼女は脈絡無い単語を突然叫んだとしても別段驚愕には値しない存在で、それ故に「イモムーしたい」ではなく「イモムシ隊」だという死説すら説得力を持つのである。
更に武は一般的な普通人。ココの言葉の意味を履き違えてしまったという可能性が無きにしも非ずである。過去に「ひよこごっこ」でココに付き合わされた経験も合わさり、武は反射的にココの言葉をただのおねだりと決定付けてしまった。それは充分に考えらることであった。
そんな天衣無縫、理解不能なココの性格を考えた時、意表を突いて「イモムシ隊」、または「イモムシ体」や「イモムシ態」というココ語を吐き出したのでは?という推測も場合によっては成り立つだろう。ココが好んで行う遊戯「ひよこごっこ」も固有名詞だからには、「イモムシ隊」という造語があっても不思議では無かった。
では「イモムシ隊」とは何か?
言葉通りに解釈するなら、「イモムシ」の集団というニュアンスを含んでいると容易に想像出来る。勿論「イモムシ隊」では無く「イモムシ態」、または「イモムシ体」かもしれない。平仮名で描写されているが故に、「たい」に充てる漢字は特定出来なかった。
それでも「イモムシ態」という言葉からは「イモムシ形態」または「イモムシ状態」というイメージが浮かび上がるし、「イモムシ体」という言葉も「イモムシの体」とイコールであると考えてほぼ間違い無い。つまり、断定は出来ないが、「イモムシ隊」であろうと「イモムシ態」であろうと「イモムシ体」であろうと、別段差異は見られないわけである。
要するにココは、何よりも「イモムシであること」を念頭に置いているわけだ。そこから考えればやはり、「イモムシ」に纏わる何かを武に強調し、そして要望していたというのが自然な解釈であろう。
結論として、文節が「イモムーしたい」であろうと「イモムシ隊」であろうと意味と意志の指向は同等。それでも一応決着を付けるならば、ココの「イモムゥーしたい」という台詞のテキスト表示、彼女の台詞のアクセント、それに対する武の反応と、この3点から見た時、やはり「イモムー」を「したい」という願望形の主語述語テキストであると的を絞ることが出来た。ココは、イモムシごっこを武としたかっただけなのである。
だけど「EVER17」だけに、それだけでは終わらない何かがあった。その関連性は海よりも深いのかもしれない・・・。
四、イモムーと17の関連性
「EVER17」には様々な部分に「17」という数字が隠されている。それは既に万人の知るところであろう。ならばココが何気なく放った「イモムー」も、何かしら17に関連しているのだろうか?
イモムーで検索をかけたところ、鉄道マニアのサイトから、その兆候を窺うことが出来た。
とりあえずこのサイトとこのサイトを見るに、鉄道車両の中には「3400系」なる車両が存在したらしい。そしてその車両は、その独特なフォルムから「いもむし」という愛称で呼ばれていたとのこと。つまり、その事実から「イモムー」との関連性を読み取ることも不可能では無いということだ。
まず、3400という数字は17の倍数である。これは「EVER17」で常に気を配っている「17との関連性」を表した一例であろう。また「イモムシ」を英訳した際にもそれは顕著だ。「イモムシ」は英語で「a
green caterpillar」。「ア・グリーンキャタピラ」なのだが、その単語を構成するアルファベット数は何文字か?まるで定められたかのように、17文字なのである。誰もが驚きを禁じえないに違いない。
更にこのテキストをそのまま信じるならば、「3400系」が世に登場したのは1937年であり、最後の運転つまり世を去ったのは2002年。それは八神ココが誕生した年でもあった。ココと「いもむし」の深い関係がここにも証明されている。
そして2002年から後は、LeMUの建設、施工、月海のキュレイ感染、クローン法改正、空の稼動等、まさに激動の日々。数えて10年後つまり2012年において、「ジュリアのDNA塩基配列に異常が認められ、学会は騒然となる」ことで、歴史は更なる加速を見せるのである。まさに激動する時代に追いつけなかった「いもむし」の無念を代弁するような、目まぐるしい歴史の変遷では無かろうか。
私はこの2012年を一種のキーワードと見ている。月海がキュレイに感染したとて、LeMUが建造されたとて、それはあくまで私的な世界。より広義の世界を巻き込む騒然なる動きは、2010年のクローン法改正であり、学会を震撼させた2012年から始まったのだ。その中の2012年にまず私は着目するわけである。
だが、「EVER17」という世界の中心はあくまで武達人間であるのも確かである。故に、その年表における人物の絡みを軽視するのでは徹底を欠くだろう。故に激動の2012年から先にも何かしら関連させる必要があった。
その流れで年表を俯瞰すれば、2012年から10年後、即ち2022年が一際光る。この年は優春及び桑古木がキュレイ効果によって老化抑制が始まった年では無いか。これは刮目して良い点だ。何故なら優春と桑古木の両名は、「EVER17」の物語を仕組んだ張本人とも言えるからである。確かに月海や沙羅達主役級の人物に比べれば、ユーザー的重要度その他において何かと見劣りするかもしれない。だが歴史的に見た時、彼らは最重要人物なのだ。2017年から2034年にかけての遠大な計画を推進したのもこの二人だし、その為にLeMUやライプリヒ製薬そしてマスコミすらも巻き込んだ。彼らは武とココという個人のためだけに全世界を操る。それは歴史を操ると言っても良い。いわば最後の黒幕だったのだ。
その二人が年齢的に時を止めてしまった年が、他ならぬ2022年。そこから彼らの無尽蔵なバイタリティーが発揮されることを考えれば、その年は二人が人間としての自らに決別した年。つまり、本当の意味で人としての魂が死んのは2022年だったのだ。
ここで考える。ジュリア効果で学会を混乱の坩堝に追いやった2012年と、その歴史を蒸し返すように影から世界を相手に歴史を混乱させた優春と桑古木の人間別離。2002年に運転停止となった「いもむし」の魂は、もしかすると2012年よりも先、この2022年まで生き続けたのかもしれない。レトロタイプの代表格「いもむし」の物質的終局があり、最後にオールドサピエンスの象徴「優春」と「桑古木」のニューサピエンス即ち肉体神格化によって、「いもむし」の精神は完全に費えたのだ。
そう位置付けた時、「いもむし」の魂は実際の運転期間である65年と、そこから後の精神的な20年、つまり85年間生き続けたとも言えないだろうか。その解釈を以ってした時、この85年という年数が17の倍数であるという解釈が生まれるのだ。LeMUの階層が17m単位で建造されているように、「いもむし」つまり「イモムー」もまた17年単位で区切ることが可能なのである。
これらを見ても、とても偶然とは思えない。もしかするとココは、「イモムー」をしたいという言葉の裏に、「電車ごっこ」という暗喩を含ませていたのではないか?そんな邪推も拡大解釈すれば可能だった。
あと、この3400系「いもむし」は機械である故に、人間と違ってその姿がそうそう変化することは有り得まい。これはつまり、キュレイキャリアである月海、ホログラムである空のような、「EVER」つまり「常に変わらない」存在への問い掛けとも取れる。EVER17の月海、EVER24の空、EVER23の優、EVER20の桑古木、EVER14のココ。武もEVER20かもしれない。とにかく彼等という存在は、人であるが限りなくEVERに近い存在。そして3400系「いもむし」も機械であるが故にEVERに近付く存在なのである。
つまり、EVERという単語は両者に共通するキーワード。ココの世界とBlickWinkelの世界を繋ぐのが視点であるように、有機体で構成されるココの世界と無機物の世界に属する3400系を繋ぐのは「EVER」なのである。
勿論その解釈に対して釈然としない感情を抱く場合もあろう。だが3400系にはもう一つ決定的な単語が存在した。
それが「エバーグリーン」という単語である。先に紹介したサイトを信じるならば、3400系はその功績を称えられ、「エバーグリーン賞」を受賞したと云う。「エバーグリーン」つまり「EVERGREEN」。意味は「常緑」。3400系「いもむし」に塗装された緑のカラーを指して使われた言葉だろうが、「常に緑ある世界であれ」という、地球に対する人類の願望が込められているとも取れるではないか。
「EVER17」の物語で登場した「レムリア大陸」。この伝説上の大陸をして、ルイス・スペンスなる人物は以下のように評したと云う・・・。
「そこは地上の楽園だった。緑したたる熱帯樹林は青く澄みわたった空にそびえ・・・・」
まさしくEVERGREEN。平和を象徴する希望溢れた言葉。3400系「いもむし」が「エバーグリーン賞」を受賞したいきさつは、そんな人間の願望が含まれたものだった。そんな可能性も否定出来ない。ならばココの言う「イモムー」という言葉が、恒常的な平和に対する希望と歓喜に満ち溢れた奥深い台詞であったとしても、やはり否定出来ない。
八神ココは高らかに宣言した。
17年ぶりに平和を勝ち取った自分と武に対して、17年間闘い続けた皆に対して。かつて伝説のレムリア大陸を包んでいた常緑の楽園を夢見るように・・・。
「イモムゥーしたい!イモムーゥーしたい!イモムーゥーしたいいぃぃぃっ!!」
胸一杯の悦びをただ「イモムー」という一言に乗せて・・・。
五、結論
ココの台詞、「イモムーしたい」。それは表面的に見れば、「ひよこごっこ」に類する遊戯を敢行したいという彼女の願望が言葉となったものだろう。LeMU内と同じく武と戯れたい気持ちを持っていたことには疑いの余地が無い。
だけど、その言葉の奥には「常に変わらないもの」に関するスタッフのメッセージが込められていた。それは人間を辞めざるを得なかった月海達キュレイキャリアへの憐憫の情であり、それでも笑顔で居られるようにと彼等に放った慈愛。その中でも最も笑顔が素敵なココの口を借りて、「イモムー」という言葉に全てを凝縮させていたのだ。
当然フォローも忘れることは無い。
「いもむし」の愛称で親しまれた「3400系」。それは修理改造する限りは永遠に起動可能な機械だけど、最終的には深い眠りに就くことが出来た。ならば当然元々人間であった彼女等もいつかは終わりを迎えることが出来るはず。だからそれまでは「エバーグリーン」の名の下に人々に貢献し続けた「いもむし」のように、月海達も生きれる限りは生き続ければ良いのでは無いか、と。そんな救いとも取れるフォローが「イモムー」にはあった。
「3400系・いもむし」の精神は85年間続いた。それは即ち17×5。キュレイに感染した人間が完全なキュレイ種となる年数も5年。そのキュレイを背負って生きるのは、武、月海、優春、桑古木、ココの5人である。
「EVER17」のキーワードは17で、だけどそこには5という数字も見え隠れしてもいた。これは決して無関係では有り得ない。その密接な関係は「3400系・いもむし」の謎を解いた時、より鮮明に理解することが出来たのだ。
また、「いもむし」が活動を停止したのは2002年8月31日。それは「EVER17」がコンシューマで発売された2002年8月29日に余りに近接していた。ここまで来れば、もはやそれが偶然と言う者は居ないだろう。
「EVER17」を完全クリアするまでに、およそ2日程掛かるという説がある。そして29日の2日後は31日なのだ。「EVER17」でグランドフィナーレを迎えたユーザーに対し、スタッフはもう一つの感動を訴えかけていた。それは多分、「いもむし」にさよならを告げる記念すべき日に味わう感動のことを指しているに違いない。
名作「EVER17」に終わりがあるように、人の生活を支えた鉄道界にもやはり終わりがある。だけど、「いもむし」は「EVERGREEN」という希望に満ち溢れたメッセージを残した。だから同じように「EVER17」も、永遠の楽園を目指す前向きさを以って終えて欲しい。
ココはその壮大なメッセージに読者が行き着いてくれることを信じて、「イモムー」という言葉を吐いたのだ。願いを込めて、祈りを込めて・・・。
太陽星人であるココと、第3視点・BlickWinkel。
我々一般人ではまるで及ばない世界に生きておられるお二方は、「イモムーしたい」という明瞭かつ単純な言葉を用いて、わざわざ凡人の世界に降りて来て下さった。
だけどその裏には、現在の人類に対する疑問が、だけど決して費えぬ希望が託されていた。名作「EVER17」における壮大なテーマは、こんな何気ない言葉からも導き出せたのだ。
第3視点に目醒めた者ならば、そのテーマを読み取ることは、きっと容易い・・・。
(2003/06/08) 【考察メニューへ】 【「EVER17」TOPへ】 【ホームへ】