Versprechen
「言っとくけど、別に腹出して寝てたわけじゃないんだからなっ!」
自信満々に告げられ、思わずアルフォンスは息を吐いた。そうして、その台詞主へと視線を送る。
「ホントだっつの」
「……別に疑ってないよ。一応ね」
「何だよ一応って」
エドワードはひどく不満そうだ。熱が高いせいか顔は上気しているし、先程アルフォンスが無理矢理ベッドに放り込むまではふらふらしていた。そんな彼としては、それは主張せずにはいられない事実であるらしい。
「兄さん、自分の年齢とその台詞を顧みて、妥当だと本気で思うの?」
兄は今年で十八歳になる。そしてアルフォンスは十七歳になる。そんな年齢で『腹を出して寝たから風邪をひいたわけではない』と断言するなと言いたくなる。もっとも、彼は幼い頃さんざん腹を出して寝ていて、自分は小言を言っていたから条件反射なのかもしれない。――――そして
その悪しき癖は現在も完全に払拭された訳ではないことをアルフォンスは知っている。
「とにかく、熱があるのは事実なんだから安静にしてないと。それとも、病院行った方が良いかな。兄さんが熱出すのって久しぶりだよね」
自分の記憶では、兄が高熱を出したのは機械鎧手術の後が最後ではないだろうか。
もっとも、それ以降は自分は生身の肉体を持っておらず、早い話彼が高熱かどうか判断する術はなかった。
けれど思い出してみれば旅の途中、具合が悪そうだった時もあったし、基本は健康なひととはいえ、無茶はかなりする方だからアルフォンスが知らないだけで熱を出していたことも何度かあったに違いなかった。
「病院なんて面倒だ。ただの風邪だしな」
(言うと思った)
確かに、エドワードの言うとおり面倒ではある。なにしろ、リゼンブールには医師などいない。どうしても看て欲しい場合は町から呼ぶしかなかった。母が早世した理由の一つは、そんな不便な状況もあっただろう。
「でも、すごい熱だし」
実際はそう言うほど高くはなかったが、心配ではある。
「なら後でピナコばっちゃんに解熱剤でももらう」
「……」
ため息が漏れた。ピナコは正式な医師ではないが、機械鎧技師はその手術もこなすため、事実上は医師とそう変わらない。
だから、村人達も医師のいないこの村では彼女を医師として頼りにしていたし、自分たちも確かにそうなのだが、エドワードの場合はピナコを頼りにしている、と言うよりも医師の世話になりたくないだけだろう。
「平気だって。アルは昔から心配性だな」
「兄さんだって人のこと言えない癖に」
今よりも悪くなったら問答無用で町の医師を呼ぼうと思いつつ、そう言葉を紡いだ。
「アルよりはマシだって」
「そんなことないよ。ボクがちょっと足をつまずいただけで大騒ぎだったし」
「あの頃は何もかもが不安だったんだから当然だろ」
断言されてしまうと、返す言葉がない。エドワードの言うとおり、あの当時は何もかもが不安だった。――――あの頃。自分が、この姿を、ひとの姿を取り戻したばかりの頃は。
自分がエドワードの立場でも、確かに不安で心配でたまらなかっただろう。何しろ自分は眠ることも食べることも忘れていた。所謂『一般的な生活』に支障がでなくなるまでに一年を要した程だ。
けれど、その言葉が少しだけ意外でもあった。エドワードは弱音、またはそれに近い言葉を好まない。だと言うのに、まさか『何もかもが不安』などと言うとは思わなかった。
「とにかく、オレは平気だっての。それより、あんまりオレの側に来んなよ。うつったら困んだろ」
「別に困らないけど」
と、いうよりは自分にうつってくれた方が気が楽だ。自分が風邪でうなされる分には、こんなに心配にはならなくてすむ。喉が痛もうが、熱が上がろうが、その方がよほど良かった。
だが、そう言えばきっとエドワードは怒るだろう。考えるまでもない。エドワードはアルフォンスに対しては大層過保護だった。そのせめて半分でも、自分の身を大事にしてくれたら良いのに、と思うくらいに。
どうしてこうも、自分の身を大事にしないのか。彼は昔からそうだった。そんな人が兄なのだから、アルフォンスが兄の分もその身を心配するのは寧ろ当然だろう。
そうでなくとも、アルフォンスは彼に恋している。心配などいくらしてもしたりない。そう言っても、エドワードだ大丈夫だと笑うだけだろうけれど。
「良いから来るな」
「はいはい。じゃぁ安静にしててよ?」
「わかってるって」
頷かれ、それなら、と部屋を後にした。とりあえずは病人食でも作ることにしよう。
幼い頃は母がなんでも作ってくれた。病人食は勿論、自分たちの好物も、それからたまにはそうではないものも。母を失ってからはピナコの世話になった。現在は自分たちでそれなりに簡単な料理を作っているが、今でもピナコはあれこれと多く作ったからと自分たちに料理を届けてくれる。
自分は幸福なのだ、とアルフォンスは折々に思う。
自分たち兄弟が人体錬成を犯した罪人だとしりながら、周囲の大人達は時に厳しく、けれど優しいひとたちばかりだった。
こうしてアルフォンスが人の姿に戻れたのも、そんなひとたちが支えてくれたからこそだ。感謝などいくらしてもしたりない。
無論、その中でもエドワードはアルフォンスにとって特別だった。大切な、大切な兄。我が儘で強引で、そして誰よりも優しいひと。
――――自分が恋する、ただ一人のひと。
それは異常事態なのだろう、という自覚はある。普通は同性の、それも兄弟に恋などしない。
だが一般論がどうであれ、自分が恋したのは彼だった。してしまったのものは仕方がない、とアルフォンスは思う。だってあんなに魅力的なひとをアルフォンスは他に知らない。
世の中には色んな人間がいて、その中でも一番はいつだって、どうしたって自分にとってはエドワードなのだから、もうどうしようもない。おそらく、恋愛感情とはそういうものなのだろう。常識も倫理も関係ない。それは事実でしかなかった。
そして最も幸福なことに、エドワードも自分と同意見だった。これは本当に奇跡的と言えるだろう。そんなわけで、つまり自分たちは兄弟であり恋人となった。無論、これは誰にも言える事柄ではないし言うつもりもないのだが。
真実を告げることが必ずしも良いとは限らない。それは誰にも言えない自分たちだけの秘密で良かった。これまでも、これからも。
エドワードの為にオートミールの用意をしながら、あれこれと今日の予定を考える。後で買い物にでも行って、彼のために果物を買ってこようか。それとも、やはり医者を呼ぶ方が良いかもしれない。エドワードは嫌がるだろうが、万が一大病だったならば、自分はどうして良いかわからなくなるだろう。
(……医者になるのも、良いかなぁ)
ぼんやりとそんなことを考える。そうしたら、エドワードが今回のように病に伏せっても、そんなに慌てずに済むだろう。リゼンブールに医者がいないのなら、自分がなれば良い。
ひとの姿を取り戻したとき、これからのことを考える余裕はなかった。まずは健康を取り戻し、それからゆっくり考えれば良い、とエドワードも言った。これからやりたいことを探せば良い、と。
とりあえずは学校に行くつもりだったし、将来の夢を見据えることも必要だろう。
(でも、今はボクの将来よりも兄さんの体調の方がよっぽど重大だけど)
エドワードは平然としているが、どうしてもアルフォンスにしてみれば気が気ではない。ベッドに横になり、苦しそうな表情をする彼を見るのが辛かった。
そんな彼の様子は、かつての母を連想させるから余計にそう思うのだろう。
病身の身で、彼女は自分たちに微笑みかけた。
けれど顔色は悪かったし、時折辛そうな表情を見せる。なるべく自分たちには見せないようにと努力していただろうけれど、それでも病魔は確実に彼女を苦しめ、そして自分たちはたった一人の母を失った。
あの時の母と、今のエドワードは状況が違う。それはわかっている。エドワードはおそらく、彼の言うとおり風邪をひいているだけだろう。
自分の身体を錬成する際には賢者の石を結果的に使用した。だから、リバウンドの心配はないはずだ。アルフォンスの体調も安定している。ノックスもマルコーも、兄弟共に健康体だと太鼓判を押してくれた。あれが嘘であるはずもない。
(わかってるのに、ボクは臆病だな)
思わず苦笑する。兄が風邪をひいた。ただそれだけのことなのに。風邪くらい、自分だってひいた。――――そう言えば、あの時もエドワードが大騒ぎをして大変だったな、と思い出す。
今思えば、兄も今の自分と同じように不安になったのかもしれない。
(あの時は兄さんは大げさだって思ったけど、今ならわかる気がする)
きっと彼は怖かったのだろう。今の自分のように。怖いと、そう思うほど自分たちが互いが大事だった。どうしようもなく。そしてそれはこれからも変わらないだろう。永遠に。
大人になっても、ずっと。
◇ ■ ◇
「兄さん?」
ノックをしたが、返事がない。まさか体調が悪くなっているのだろうか、と不安に思いながら扉をあけた。
そして見てみれば、エドワードはどうやら熟睡している様子だ。寝汗をかいているが、先程よりは顔色も良いような気がする。ほっとして、息を吐いた。
「兄さん、子どもみたいな顔してる」
のぞき込み、そっと笑った。良かったと心底思う。けれど額に手を当ててみると、まだまだ熱い。
「本当に、ボクに全部うつれば良いのに」
心の底からそう思い、呟く。すると突然、彼が瞳を開いて言った。
「そんなん、オレが困る」
「起きてたの?」
「今、起きた」
もしかしてそれは、自分が触れたせいだろうか。もし彼の安眠を妨げたのだとしたら、自己嫌悪に陥るしかない。
「……風邪ひいたのがオレで良かった。これがアルだったら、生きた心地がしねぇし」
「ボクだって、兄さんが風邪引いたら同じ気持ちになるよ」
「うん。そうかもな。でも、オレで良かった」
言って、エドワードは笑った。
「だって、アルが風邪ひいたらオレは不安で不何で仕方なくなる。違う、風邪なんかひいてなくても、いつも不安なんだ」
いつもは言わない言葉の連続に、目を見張った。しっかりしているように見えるが、もしかしたら風邪で意識がどこか朦朧としているのかもしれない。
「いつも、怖くなる。起きたらアルがいなくなてたらどうしようとか、錬成は成功したと思ってたのに、実は失敗していたらとか、そんなことを考えるんだ」
天井を見上げながら告げるのはそんな台詞だ。当然のことながら、初耳だった。いつだって彼は自信満々で、任せろと笑っていた。それは自分に、そんな自身の不安を悟らせないためだったのだろう。
「そんなことばっか考えて、夜中に突然飛び起きて。寝らんなくなってアルの部屋に行ったことだって何度もある。寝顔を見て、それでやっと安心するんだ」
それは知っていた。自分がこの身体を取り戻したばかりの頃の話だ。けれど、もしかしたら最近でもそんなことがあったのかもしれない。日によっては同じベッドで眠るから、そんな日にはその必要もなかっただろうけれど。
「安心して、でもまた夢を見るんだ。繰り返し繰り返し、終わりがない。オレはずっと不安で、怖くて、怯えてる」
「ボクはここにいるよ。ちゃんと、ここに、兄さんの側にいる。兄さんのおかげだよ」
彼がいるから、今の自分がいる。それは疑いようのない事実だった。
「ずっと、兄さんのそばにいるよ」
「……それじゃアル、お前結婚できないぞ」
くすりと笑って告げられる。けれど、彼に恋したときからそれが当然だと思っていたアルフォンスにしてみれば、何を今更、と言うよりほかない。
「良いよ。ボクは兄さんの側にいる方が大事だから」
「バカだなぁ、アルは」
また、エドワードは笑った。どこか泣きそうな、そんな笑顔で。
「そうかな。そんなことないと思うけど」
アルフォンスも笑った。エドワードが確かに自分はここにいるのだと、その事実を得てくれることを願いながら。
「でも、ボクは本気だよ。絶対に、兄さんの側にずっといる」
「そっか」
エドワードは小さく頷いた。優しい表情は、どこか母に似ている。
「ありがとな。……安心したら、眠くなった」
「そう。じゃぁ、もう少し寝てなよ。おやすみ、兄さん」
「あぁ。おやすみ」
言うと、彼は目を閉じる。程なく寝息が聞こえてきた。彼に触れたいと思ったけれど、また起こしてしまっては可哀想だ。
再び起きたとき、エドワードはどんな表情を見せるだろう。
先程のことを思い出して狼狽して恥ずかしがるだろうか。それとも、笑顔を見せてくれるだろうか。それとも、全て忘れているだろうか。夢だと思うだろうか。
どれでも良い、とアルフォンスは思う。自分は彼の側にずっといる。それをエドワードも望んでくれた。それだけで十分だ。
ずっとずっと、側にいる。そうしたら、いつしかエドワードも不安になど思わなくなるだろう。いつまでもいつまでもアルフォンスは側にいるのだと、それが当然なのだと思うだろう。
それは約束された未来だ。違えることはない。
そう、自分が決めた。だから、それは現実となる。絶対に。
エドワードの寝顔をじっとアルフォンスは見つめる。大事な、大事なひと。この世の誰よりも。どんな人よりも大切な、自分の兄であり、恋人であるひと。
彼を守りたい、と切実に思う。そんなことを言ったら、きっとエドワードは怒るか、笑うだろう。けれど、それは切実なアルフォンスの本音だった。
「大好きだよ、兄さん」
彼を起こさないように、小さな声で呟く。
本当は、そんな言葉ではとても足りない。自分は本当に、このひとしか見えていないと思うのはこんな時だ。
側を離れない。それは本当だ。例えエドワードが離れることを望んだとしても、自分は頷けないだろう。離れることなどできるはずがなかった。
だから、自分はずっと彼の傍らに有り続けるだろう。この先の未来が、どんな形だったとしても。
「ん」
エドワードが小さく身じろぎ、寝返りを打つ。残念なことに表情を見ることはできなくなった。
触れたいな、とまた思う。けれど我慢しなくてはならない。エドワードが起きたら触れればいい。全快したら、思う存分触れることも出来る。きっと、エドワードは自分を拒否しないだろう。いつものように。
「……ずっと、側にいるよ」
もう一度、呟く。それは誓約にも似ていた。
エドワードは今、どんな夢を見ているのだろうか。寂しくも悲しくもない夢だと良い。彼が笑顔になれるような、そんな夢だと良い。
彼が起きたら、まず最初にどんな夢なのか最初に聞こうか。それとも、愛していると囁くのも良いかもしれない。
そんな近い未来を思い浮かべ、アルフォンスは一人、声を出さずに笑った。
END