G A T E
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そもそもの発端は、どんよりとした曇り空の広がる午後のことだった。
列車に長時間揺られてようやくイーストシティに到着したことを安堵しつつ、エドワードはアルフォンスと共に馴染みになりつつあった食堂へと向かった。
なにしろ列車には食堂などない。乗った駅は田舎で、しかも早朝だったから店も閉まっていた。そんなわけで大層空腹で仕方がなく、とりあえずは食欲を満たしたかった。
「先に大佐に挨拶しなくて良いの?」
もっともなことをアルフォンスは言ったが、へ、と軽く笑う。
「別にそんな重要な用事じゃねーし、後回しだ後回し。それより飯のが先だって」
このときのエドワードにとって、優先順位は圧倒的に食事が上だった。ロイとは会わなくてはいけないだろうが、これは別に一時間や二時間遅れたところで問題ではなかった。だが、食事をあと一時間遅らせるとなればエドワードにとって大問題だ。だとすれば、どう考えても食事を先に済ませるべきだろう。
ロイに会うのは、数ヶ月に一度。それも別にエドワードが望んでいるわけではないが、自分が国家錬金術師になった際に彼と約束を、……というよりは契約なのかも知れないが、……してしまったのだから仕方ない。
査定とは別に自分はレポートを用意して、ロイに渡す。または直接話す。そこから、有益と思える情報を彼も入手する。
自分も運が良ければロイから賢者の石に少しでも関係ありそうな情報を流してもらう。
特に期間は定まっていないが、暗黙のうちにそれが数ヶ月ごとと決まっていた。丁度情報も欲しかったから、それなら東部へ行くか、と決めたのが昨日のことだ。
そうして早朝起き出して列車に揺られ、ようやく到着した。別に予め今日訪れると連絡もしていない。何時に行ったところで、ロイが特に困る、ということもないだろう。せいぜい、事前に連絡しなかったことについてねちねちと嫌味を言われる程度のことだ。
目当ての食堂は駅から近い。ずんずんと歩を進め、迷うことなくその店を選んだ。安くて量があって味もそこそこ、という人気があって当然の店だ。
「あら、いらっしゃい」
店の主人である初老の婦人がエドワードとアルフォンスの姿を認めて声をかける。愛想の良い、元気な声。
「久しぶりだね、坊や。鎧の弟さんも」
坊やじゃない、と内心思ったが、口には出さない。彼女にかかればロイすらも坊やかもしれなかった。
「あぁ、久しぶり」
「お久しぶりです」
それぞれ挨拶を告げると、うんうん、と老婆は頷く。
そうして空いている席を示すと座りな、と言った。
「またシチューかい?」
来る度にそればかり頼んでいたからか、笑顔でそう尋ねられた。実際、ここのシチューは絶品だ。母と、それからピナコの作るシチューの次くらいには美味い。
「ん。あとパンと、サラダと」
「飲み物はオレンジと林檎とどちらがいいかね」
「オレンジ」
注文を告げながら椅子へと座る。昼食時は過ぎていたから、店内は非常に空いていた。
「鎧の弟さんは相変わらず、食欲がないのかい?」
「はい。あの、すみません。いつも何も頼まなくて」
いつも注文しないアルフォンスに対して心配そうに老婆が尋ね、アルフォンスが恐縮しきった声を出す。訝しむのならまだ良いが、心配されるとアルフォンスとしても心苦しいに違いなかった。
「注文しないのは一向に構わないが、若いお人が食欲ないってのは嘆かわしいねぇ」
やれやれ、といいながらも老婆の動きは実にてきぱきとしている。すぐにサラダとジュースが運ばれてきた。取りあえず一口グラスを傾けると、柑橘類特有の酸味が舌を刺激する。
「ん、美味い」
「当たり前だよ。まずい物なんか出すはずないだろ」
「そりゃそーか」
いつも通りの対応をされて思わず笑みが浮かぶ。多分、自分がこの店を愛用するのは味と量、値段も理由としてはあるが、どこかピナコに似た老婆の対応を好んでいるからなのだろう。
「商売は繁盛してる?」
世間話の一つとして、良くある質問を口にすると焼きたてのパンを運びながら老婆は口を開いた。
「無論、してるさね。けど、最近はちょっと困ったことがあるねぇ」
しみじみと言われ、首を傾げた。この老婆に一体どんな困りごとがあるというのだろう。大抵のことは笑って済ませてしまいそうだというのに。
「何困ってんだよ?」
軽い気持ちで尋ねると、最後に熱々のシチューをことん、と机上に置いてから老婆はエドワードを指さした。
「確かあんたの上司が原因さね」
「オレの上司?」
一瞬誰のことだろう、と思ったが、すぐにロイのことだと理解する。正確には上司と言っていいのか微妙だが、とりあえず老婆がさしているのはロイに違いなかった。
イーストシティでは彼は有名人だ。町人なら知らない人間などほとんどいない。よって、この老婆がロイを知っているのは当然だが、一体彼が何をしたというのか。
「それって、マスタング大佐ですか?」
「そうそう。その人だよ」
アルフォンスが尋ねると、老婆がこくこくと頷く。
「で、大佐が何したんだよ?」
「これからするのさ」
「?」
疑問符を浮かべつつ、熱々のシチューを口に運んだ。火傷しそうなほど熱いが、濃厚な味わいは相変わらずだ。美味いものを食べると人は自然に上機嫌になる。エドワードも無論、それは同じだった。
「この店の客の半分は女性でね」
「ん、そーいやそうだな」
味が良くて安ければそれは女性にも人気があるだろう。豪快な肉料理がある一方で、繊細な味わいの前菜などもある店だ。確かに、女性客も多かった。
「あんたの上司は、この女性客に大層な人気なんだよ」
「……あぁ、うん。そうかもな」
ロイが女性に人気がある、という事実は確かにエドワードも知っている。本人が自慢をするし、ロイの部下に愚痴られたこともある。女を口説くのが趣味だ、という噂も聞いたことがあった。実際、ロイは相当女好きだろう。それは見ていれば分かる。
「で、それが?」
「結婚するって話なんだよ」
「……あ?」
スプーンでシチューを掬ったまま、その言葉を聞いて動きを止める。
(結婚?)
「誰が?」
「だから、あんたの上司が、だよ」
「え、大佐が結婚するんですか?」
老婆の言葉にエドワードは唖然とし、アルフォンスも驚いた様子で問い返す。老婆はこくりと頷いた。
「詳しくは知らないがね、女性客が嘆いて嘆いて仕方ないんだよ。結婚話で葬式ムードなんて迷惑この上ないね」
なるほど、と思った。ようやく話が繋がった。それは確かに、迷惑だろう。
「マジで、大佐結婚すんのか?」
「そういう話だよ。なんでも、名家のお嬢さんとお見合いをしたとかって聞いたけどね」
「へぇ」
あの年齢で大佐ならばそれなりに野心もあるだろうし、今まで未婚だったことが不思議なほどだ。良い見合い話があり、双方合意したのならそのまま結婚、という流れは寧ろ当たり前だろう。
「まぁ、私は直接聞いた訳じゃないからね。どこまで本当かは知らないが。少なくとも、女性客の大半はこの話ばかりさ。酒が入ると大変なことになるよ」
「……そりゃ確かに、大変そうだな」
この店は夜になると酒も出す。大佐が結婚、となれば失恋が決定する女性も多少いるわけで、そうするとやけ酒、というのはありふれたコースだろう。
そうして泣いて喚いて大暴れ、ということも時にはあるようだ。それが日々繰り返され、老婆はさすがに困った、と思ったのだろう。
「そうかぁ。大佐、結婚するんだ」
アルフォンスはどこか弾んだ声で言った。確かに、結婚というのは一般的には慶事だ。そして知人の慶事を喜ぶのもまた、一般的だろう。
「町中で噂になってるよ」
「へぇ」
つまりそれはもしかして、町中の女性がロイの結婚を嘆いている、ということだろうか。少なくとも、この店に来る女性の何割かは盛大に嘆いている様子だ。無論、多少の誇張はあるのだろうが。
(そっか。大佐、結婚すんのか)
黙々とシチューを口に運びながら、ぼんやりとそう思う。なんだかひどく不可思議な気がした。けれど、一体何がそんなに不可思議なのか自分でも良く分からない。
今まで散々遊んでいる大人が身を固める、と聞いて、それがいまいち想像がつかないせいかもしれないな、と思う。
(うん、きっとそうだな)
ロイはあまり趣味の良くない冗談を好む人間だ。その証拠に、何度かエドワードも愛を囁かれた事がある。無論、それは冗談にでしかなく、自分が子どもだからその反応を楽しみたいのだろう。デートと称して食事に誘われたことも数度ある。
もっとも、食事を実際にロイと一緒にとったところで、無論なにもありはしなかった。いつもと違うのは場所がレストランであることと、話す内容が少しばかり雑談混じりになった、ということくらいだ。それから、ロイがいつもより少しだけ上機嫌だった。
けれどそれだけだ。仕事から解放されれば、少しくらいは上機嫌になるだろうし、たまたまその時は自分を誘ったが、ロイだって部下を誘って食事を共にすることくらいあるだろう。その程度のことでしかない。
なにも特別ではなかった。……そう、なにも。
そして彼が結婚することもまた、特別なことではない。当然のことでしかない。
そう思うのに、いつもの自分を保てない。それがどうしても不思議で仕方がなかった。
「それなら、お祝いしないとね」
「え」
アルフォンスはいかにも当然、とばかりに言う。確かに、一応は世話になっている身分だし、そうでなくとも慶事なのだから祝って当然なのだろう。……あまり、祝いたい、と思う相手ではないが。
いかにも全てにおいて余裕です、と言わんばかりのロイの笑顔はいつでもエドワードを腹立たしい気分にさせる。涼しい顔をして、時には意味ありげに微笑んで、挙げ句に口説き文句を口にする。そんな大人。その視線がいつも物言いたげで、それが気になっていた。
けれどきっとそんなのは全て気のせいか、またはくだらないことでしかなかったのだろう。
「いつもお世話になってるし」
「……あぁ、まぁ、そうだな」
いまいちキレの悪い様子で、それでも一応頷く。しかし、結婚祝い、とは何を贈ればいいのだろう。
(金とか?)
だがしかし、別に式に呼ばれているわけでもない。というか、呼ばれてもあまり行きたくない。
軍人の結婚式では、軍服を着用するに違いない。花嫁はさすがに純白のドレスに身を包むのだろうが、そのあたりのことはあまり興味がなかった。彼の妻になる女性がどんなひとなのか、それは少しだけ興味があるけれど、それでも顔が見たい、とか会いたい、等とは思わない。
そんなことを考えていると、何故だかどんどん食欲がなくなっていく。あれほど空腹だったのに自分はどうしてしまったのだろう。食欲が減退するほど、自分はロイのことが嫌いだったのだろうか。
(そうだよな。オレ、大佐になついてるわけでもねーし)
うんうん、と一人深く頷く。アルフォンスは不思議そうに首を傾げたがわざわざ尋ねたりはしなかった。
「兄さん、あとで大佐に会いに行くときに何が欲しいか聞いておきなよ」
「大佐にかぁ?」
何を渡して良いのか分からない。だから、本人に聞く。
実に基本的だし、それが一番確実ではある。確実だが、ものすごく聞きたくなかった。きっとまた、ロイはにやにやと笑うに違いない。そうして、自分を小馬鹿にするのだ。分かり切っているから、気が進まない。
「だって、何をあげたらいいのかわからないし。……何だと喜ぶと思いますか?」
前半の言葉はエドワードに、後半の言葉を老婆へとアルフォンスは紡ぐ。
「さてね。それはひとぞれぞれだろうさ。気持ちだけで十分という場合もあるし、食器や家具が喜ばれる場合もある。直接本人に聞けるなら、それが一番さ」
老婆は言いながら、机を去っていく。彼女にしてみれば、店を困らせる噂をエドワードに告げただけだ。ロイの好みを知り尽くしているわけでもないのだから、それ以上の進言もできないだろう。
「ほら。やっぱり聞くのが一番良いよ。それにしても、どんな人だろうね」
「さぁな」
可愛い彼女が欲しい、というのが最近のアルフォンスの口癖だったから、ロイの結婚はそれなり以上に関心があるらしい。
どこかうきうきとした口調であれこれとアルフォンスは想像を告げる。老婆も、あくまでも店内で聞いた噂だ、ともう一度念を押してから、美人らしいとか、しとやかな女性らしい、と持っている情報を提示した。
それらの情報を総合すると、家柄が良く、美人で性格が良くて上品で、という、とにかく欠点のない女性像ができあがる。
「そりゃ、大佐にはもったいないんじゃねぇのか?」
「そうかなぁ。でもあの年で大佐ってすごいことだし、女の人には優しいらしいし、やっぱりお似合いなんじゃないのかな」
なにしろ自分たちはどうしても男だから、ロイを冷静に結婚相手として分析することはできない。少なくとも、自分ならごめんだな、とエドワードは思う。
(性格悪ぃし、小言も言うし地獄耳だしっ)
そんな夫など頼まれても欲しくない。そう思う一方で、アルフォンスの言うとおり、あの年齢で大佐という地位についているのならば、それは確かにすごいこと、と言うべきなのだろうということもわかる。異例の出世。過去の英雄。そして性格は少なくとも女には優しく、顔も悪くない。
そう考えれば、確かに条件の悪くない男なのかも知れない。少なくとも、その相手の女性にとっては。
(……結婚、か)
ロイの姿を思い浮かべてみたが、どうしてもその単語と彼のイメージが重なり合わない。浮かぶのは意地悪く自分を見つめる、そんな表情。私を君の恋人にしないかと、そんな風に囁かれたのはいつのことだっただろう。
(結婚相手がいるんなら、そんなバカげた冗談言うなっての)
そう思い、それともあの頃はまだ決まっていなかったのだろうか、とも思う。
「兄さん、どうかした?」
「いや、別に。……そうだな、後で大佐に何が欲しいか聞いてみる」
今日の自分は、少しおかしい。どうしてこんなにもロイのことばかり考えてしまうのか。ただ、彼が結婚するという、そんな単純な現実を聞いただけで。
「お祝いの言葉も必ず言うんだよ」
「わーってるって」
苦笑して頷く。けれど、奇妙なほど気持ちが沈んだ。理由はわからないが、わざわざ理由を考えたくもない。もしかしたら、今頃旅の疲れが出たのかも知れない。きっと一晩眠れば直るだろう。
(うん、そうに決まってるよな)
そう思い、再びシチューを口に運んだ。だいぶ冷めてしまったそれは、いつものように美味いとはもう感じられない。それでも必死に口に運んだ。
食事をして、それから軍に行って。書類を渡してロイと話して、ついでに欲しい物を聞いて。
そうして、ホテルに帰ったらゆっくり休もう、と思った。何も考えられないくらい、深く眠ろう。そう思った。
その予定があっさりと崩れることを、このときのエドワードが知るはずもなかった。