偽りの月<前>




              親友は恋を手に入れ、そして不自由になった。



             「今日、帰りマック寄ってかねぇ?」
            
              東京選抜練習日、練習後。決まり文句のように一馬が言うと、
             結人が即座に口を開いた。
             「あ、悪い。今日は無理」
             「なんだよ。最近つき合い悪いぞ結人。英士もそう思うだろ?」
               不満そうに一馬は言い、話を自分にふられる。それに、肩を竦
             めて答えた。
             「結人だって色々事情があるんだから、仕方ないでしょ」 
               実際の所、自分はその『事情』を知っている。何故最近、彼の
             つきあいが悪くなったのか。
               けれど、その理由を一馬には言わない方が良いのだろう。…
             …少なくとも、今は。
             「そーかも知れないけどさ」
             「それより、一馬。今日のプレイだけど」
              尚も不満そうな彼に別の話題に誘うと、当然のように反応してき
             た。
             「土のコンディションが悪い、なんて八つ当たりする気はないぜ、俺」
              昨日は氷雨だった。それも、雪にならなかったのが幸い、としか
             言いようのない豪雨で、当然、土は最悪の状態になっていた。
              そうなれば、今日の練習が多少荒れるのは仕方のないことだ。
             チームワークもいまいちな現状では、尚更。
             「そう? 風祭に八つ当たりしてたように見えたけど」
             「あれはっ」
              躍起になって、一馬が弁解してくる。最近は一時期ほど将を目
             の敵にしなくなったけれど、それでも気になるのだから当然だろう。
             自分の感情の正体に気が付いていない彼は、未だに将を「気に
             入らない人間」として扱う。…それが大いなる勘違いであることは、
             周知の事実だが。
              ちら、と横目で結人を見ると、彼が眼で礼を言っているのが分
             かった。
              どういたしまして、とやはり目線だけで答えると、に、と結人
             笑う。声は出さないまま、小さく唇がサンキュ、と感謝の言葉に
             動いた。
             「…と。悪い、俺忘れ物した」
             弁解が終わると、突然気が付いたらしく、一馬が言う。
             「そそっかしいなー」
             「うるさいっ」
              結人がちゃかすと、一馬が赤面しながら答える。それを、自分
             は見ている。
             いつも通りの、自分達の風景。 
             「取ってくる」
             「行ってらっしゃい」
              ぱたぱたと走り出す一馬にそう声をかけると、一瞬だけ沈黙が
             支配した。
             「………」
             「………」
              別に、元から口数が特別多い方でもないし、沈黙は苦痛ではな
             い。けれど、口を開いたのは結局自分からだった。
             「早く、言うなら言った方が良いと思うよ、結人」
             「…分かってるんだけどさー、やっぱり言いにくいんだよなぁ…」
              彼らしくもなく、その台詞は歯切れが悪い。
             (まぁ、当然だと思うけどね)
              結人には恋人が最近できた。だから、自分たちとのつき合いが
             悪くなったのだ。
              あまりにも単純な、その事実。わかりやすい、ありふれた現実。
              それが、例えば一馬の知らない人間だったり、その辺の少女で
             あったならば、きっと結人もすんなりと言えたに違いない。恋人が    
             いるんだ、と。ちょっとはにかんで、報告した可能性は高かった。
              けれど。
              けれど、実際の所、結人が選んだのは一馬の知っている、しか
             も男だったのだ。
              普通の人間なら、確かに常識とか倫理とかに縛られて言えるは
             ずもない。そもそも、自分が男なのに男とつきあうはずがない。
               …それなのに。
             「だってさー、やっぱり傷つくと思うし。俺、変な意味じゃなくて一馬
              も大事だしさ」
               結人の言うことはもっともだ。結人のつきあっている相手を知っ
              たら、確かに一馬はひどく驚愕するだろうし、傷つくに違いない。
             「で、第三者から事実を知らされたらもっと絶望的事態に陥ると思
             うけど」
             「そーなんだよなー…」
              結人が恋したのは男だった。それだけなら、多分まだ良かったの
             だ。結人が大事な親友だとしても、例えば自分なら個人の好み、で
             すませたはずだった。一馬も、反対しながらも最後は結人が選んだ
             のだから、と渋々納得していただろう。 
              ―――問題は、その『恋人』が、風祭将だからこそ、発生するのだ。
              本人は知らないまま、一馬は将に恋している。誰の目にも明らか
             な程に。 
              意識しすぎるのはそのせいだ。微笑ましい、幼い恋心。けれど、
             その相手が親友の恋人だ、と知った時の彼の心理は、推測が容易
             すぎて切ない。言い出せない、結人の心理も確かに分かるのだが。
             (親友の初恋相手は、実は自分の恋人だ、なんて確かに言えないだ
             ろうけどね)
              一馬は何も知らない。多分、それは現時点ではとても幸せなこと
             なのだろう。彼が実は繊細なことを知っているから、傷つくと分か
             っている以上、知らないままの方が良いかも知れない、とも一方で
             は思う。
              けれど、多分この事実は隠し通せるものでもないだろう。現に、
             自分はすぐに気が付いたし、他の選抜メンバーもちらほらと気が付
             いている様子だ。  
              もっとも、それも当然なのだろう。二人を見ていればその事実に気
             が付くのはたやすい。実際、大半の人間は将をいつでも見つめてい
             るような状態なのだから。
              見ているにも関わらず、まったく気がつかない一馬は鈍感、と言
             ってまず間違いなさそうだった。
             「あのさ」
              突然、何を思ったのか、ひどく真剣な口調で結人が口を開いた。
             「…英士は、その…、気が付いても、そのままでいてくれてるけど
             さ。嫌だな、とかって思ってる?」
               その問いに、小さく苦笑する。
             「…相手が男だった、ってことに対してなら、答えはノーだけど?
             それは結人の自由だから」
             「そっか。うん。そーだよな、英士のそーいうところがすげー嬉しい
             や。サンキュ」
             にこ、と素直に笑いながら、結人は言う。
             「どういたしまして」
             (それでも、気が付いた瞬間はさすがに動揺したけどね)
             けれど、その事実は伝えない方が良いのだろう。
             結人も将も、根が素直な性分だから、お互いにちらちらと見つめ
             ていることなど、ちょっと彼らを注意して見ていればすぐに分かっ
             たことだ。二人で話している時の至福そうな表情を見れば、容易
             に想像もつく。
              実際、その様子を見て、この世の終わりのような顔をした人間
             を数人、英士は目の当たりにした。
             「…一馬は、やっぱり怒ったりすると思うけど。今度、言うことに
             する」
             「それが良いと思うよ」
              おそらく、一馬が事実を知ったら最初は怒るに違いない。何故
             男で、そして彼なのだ、と。…その理由を、自分が彼を嫌ってい
             るからだと。そんな誤解をしたまま。
              彼のことだ。親友に、嫉妬しているからこその怒りだと気がつか
             ないままかもしれない。それでも、自分の感情に気付くより、ずっ
             と一馬にとっては幸福なことなのかもしれなかった。答えなど、誰
             にも分からないが。
              そんな事を思い、結人に気が付かれないように、小さく息を吐い
             た。
             「ちょっと、喉乾いたから何か買ってくる。一馬待たせておいてく
             れる?」 
              そうして、そう言いながら歩き出すと慌てたような結人の声が耳
             をかすめた。
             「英士っ?」
              返事はわざとせずに、そのまま歩き続ける。自分が自販機に行っ
             ている間に、おそらく一馬は戻るはずだ。その間に、事実を言って
             おけ、と暗に伝えたことくらい、結人も気が付いたはずだ。
             (別に、その場にいても良いんだけどね)
              どの道、混乱した一馬をいさめるのはどう考えても自分の役目だ。
               そう思うけれど、少しくらい意地悪をしたとしても罰は当たらな
              いだろう。ただひたすらに心広い理解者になることは、さすがに無
              理だ。
               歩きながら、意味もなく窓を見上げる。昨日の雨とは打って変わ
              って、今日は大きな三日月が空を支配していた。
               月の満ち欠けのように、自分たちの関係は変化するのだろうか。
              …そして、いつかは元に戻るのだろうか。
               そう思っては見ても、やはりどうなるのかなどわかるはずもない。
              一馬がどんな反応を返すかは想像できても、その後どんな対応をす
              るのかは、正直な所想像できない。
              それでも、その瞬間はやってくるのだ。確実に。
               その結論に些か気を重くしながら角を曲がると、自動販売機売り
              場に到着した。
              (……)
               あまりと言えばあまりなタイミングで、そこには将がいた。備え付
              きの椅子に座り、目の前の自販機で買ったのだろう紙パックの牛乳
              を口に運んでいる。
               見ているのが分かったのだろう。自分に視線を移し、それからに
              こり、と笑いかけたかと思うと、走り寄ってきた。
              「ジュース買いに来たんだ?」
              「まぁね」
               見れば分かるでしょ、と答える気にもなれず頷いた。
              「……結人と、ここで待ち合わせ?」
              「えっ。…え、ええっと…。な、なんで知って…」
               自分の問いに、将は耳まで赤くした。それだけで図星だったこと
              が理解できる。
              「成る程ね」
               では、結人が先程慌てた声を出したのは、一馬と二人きりになる
              ことだけではなく、待ち合わせ場所がばれることに対しても焦った
              のだろう。
              「すぐ、来ると思うよ。俺が戻ったら来るはずだから」
               少しばかり不親切な説明をしたため、一瞬不思議そうな顔をして、
              それからまた笑顔を作った。
              「うん、わかった。ありがとう」
               純粋な歓びの笑顔に肩をそっと竦める。   
               素直な将と素直な結人。多分、お似合いの二人、というやつなの
              だろう。今更同性が云々、という気など、少しもなかった。 
              「あの、郭君は、…ええと」
               急に真面目な面もちで言いにくそうに口を開く。その表情で質問
              内容が想像できたから、彼が完全に言葉を紡ぐ前に自分も口を開
              いた。
              「知ったのは、別に結人がばらしたわけじゃないよ。別に差別する
              つもりもない。結人は結人で、風祭は風祭だから」
               言うだけ言って、将の顔を見ることもせずに自販機へと身体を反
              転させる。ひどく、喉の渇きがひどく気になった。
                コインを投入し、適当にスポーツ飲料を選び、ボタンを押す。ご
              とん、と缶が落ちる音が小さく響いた。
              「ありがとう」
               彼に背を向けたままの状態で、そんな言葉を聞いた。
              「別に、礼を言われるようなことじゃない」
               それが本心から出た感謝の言葉だと分かるから、余計に彼の顔
              を見られなくなった。…正確には、見たくなかった。 自販機から缶
              を拾い、じゃぁ、と彼の目を見ないようにしながら別れの言葉を切り
              出す。
              「うん。じゃあね」
               将は、と言えば自分の態度を不思議に思った様子もなく、無邪気
              な返事を返しながら、ひらひらと手を振っている。
                それを横目で確認してから歩き出しながら、缶のプルトップに指
              をかけ、力任せに引っ張る。
               妙にイライラしているのが自分でも分かった。けれど、例えば一馬
              や結人に八つ当たりするわけにもいかない。
              (分かってるんだけどね)
               そう、分かっている。どうしてこんなにイライラするのか。そんな明白
              な理由くらいは。
                けれど、どうにもならないこともまた、知っているのだ。
                だからどうしようもない。ただ、時の流れを待つばかりだ。
                缶に口をつけ、一気に喉へと流し込む。
                普通の、良く飲むありふれたそれは、いつもと違い、ひどく苦い
               味に思えた。 


                
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