完 美 麗 人
年上の恋人はなにやらひどく不機嫌だった。
それがわかる程度にはつきあいは長い――――恋人関係になったのは比較的最近だが――――が、理由がわからず内心エドワードは首を傾げた。
(機嫌が悪くなるようなことなんか、何もなかったよな?)
本日、自分がロイと会ったのはアルフォンスが入院する病院だった。
自分は腕を、アルフォンスは本来の姿を取り戻したのは良いが、何しろ現在の彼は痩身すぎるし、一応検査などもした方が良いだろう、と周囲に勧められた結果、それなりに長い入院生活を余儀なくしている。ちなみにエドワードも螺旋の摘出手術を受け、短期間の入院をした。……それはともかく、そんなわけでエドワードはアルフォンスの見舞いに行くのが日課になっている。そして宿泊場所はといえば、ロイの住処たる一軒家だ。エドワードとしてはホテルを選択する気満々だったのだが、ロイに反対され、更に懐柔され、結果『アルフォンスの入院期間だけ』、彼との共同生活に同意した。
朝は自分の方がわずかに早起きし、朝食の用意をする。ロイの方が先に出て、自分は軽く家事をしてから病院に向かう。そうして面会時間ぎりぎりまで病院で過ごしたり、場合によっては多少早めに退散して図書館に行ったりする。そして今日は、といえば前者で面会時間ぎりぎりまで病室にいた。そこへ仕事を早めに切り上げたというロイがアルフォンスの見舞いに訪れ、そのまま二人で帰宅した。そして夕飯を終えて今に至る、のだが。
(……不機嫌になる要素が見あたらねぇ)
二人で病室を出た時点で、ロイは不機嫌だった。
大人げなくエドワードを無視する、ということはないし、柔らかな笑みを浮かべたりはするのだが、不機嫌なオーラが隠し切れていない。食事中も同じくで、持ち帰ったらしい書類と格闘している今もそれは同じだった。
(仕事で何かあったとか?)
それが一番あり得そうな話ではあるが、それはほかの人間なら、の話しでロイの場合はあり得ない。疲労感が隠せない時はあるが、仕事に関係する感情は忌々しいほどきっちりと隠し通す。それは同居を始めて良くわかった。
仕事の愚痴も皆無に等しい。自分が軍属だった頃ならばまた違ったが、自分は国家錬金術師を除することが決定している。現在は正式認可を待っている状態だが、そうなるとロイは軍事関係は完全にエドワードに対して口を噤むようになった。同時に、それに付随する感情も見せなくなった。軍属ではなくなるのだから当然なのだろうが、少しだけ、寂しい気もした。
そんなわけで、ロイの不機嫌は仕事は無関係、という結論に到達する。そうなると、やはり自分と出会ってから、が問題なのだろう。
「……」
思い返してみたが、やはりわからない。いくら考えても謎だった。
(だーっ、わかんねぇっ!)
悩んでいても仕方ない。わからないのだから仕方ない。ならば本人に聞こう、と単刀直入に尋ねることにした。
「なぁ、大佐、不機嫌だよな。何でだ?」
その言葉に、ロイは書類から目を離し、エドワードへと視線を向ける。
「……不機嫌に、見えるかね?」
いつもの声音、に近いが違う。表情もだ。やはり不機嫌だ、と思った。間違いない。
「見える」
「だが、その理由はわからない、と」
「おう」
図星だったので頷くと、はあ、とロイは大きなため息をついた。
「…………だろうね」
「なんだよやっぱりオレが原因かよ。で、何やったんだ、オレ?」
いくら思い出してみてもロイの不機嫌な理由は不明のままなので更に尋ねると、ロイは微かに微笑を浮かべた。
「先ほど、私は恋人の弟を見舞いに行ったんだが」
「来たな。それで?」
「そこで衝撃的な場面に遭遇したんだ」
衝撃的な場面。
(……んなもん、あったっけ?)
ロイが病室を訪れたとき、自分とアルフォンスの二人が病室にいた。そうして病室で――――。
「まさか、とは思うんだけどさ」
「そのまさかだとも」
「まだ全部言ってねぇ」
言い終わる前に肯定する男に告げつつ、けれどそのころには理由はわかっていた。
「……アルに耳掻きしてただけじゃんか」
そう。ロイが病室の扉を開いた瞬間、自分は弟に耳掃除を施していた。どうやらそれが気に入らない、らしい。
そういえば、確かに扉を開いた瞬間、僅かに固まっていたような気がする。それはてっきり、アメストリスには耳掻きという風習がないからだと思っていたのだが、そうではなく。
「していたね。君の膝枕で」
「だって、そのほうがやりやすいだろ」
呆れつつ、告げずにはいられなかった。
「私は君に膝枕をしてもらったことなどないんだが」
「あぁ、ないな。そりゃ確かに」
する必要もなかったのだから当然だ。当然だが、そう言えばこの男は太股が好きだったな、と思う。そんな男にとって、恋人が他の男に膝枕、という情景は不機嫌になって当然のものだったらしい。だが、他の男、とは言っても。
「アルはオレの弟だぞ」
「知っているとも。それも君にとっては最愛で最上の、と枕詞が必須なこともね。だが面白くない」
この上なく正直な台詞に脱力するしかない。
(……本気で言ってやがる……)
「そんなにオレに膝枕して欲しいなら欲しいって言えば」
「して欲しい」
言えば良いだろ、と最後まで言う前に男は速攻で言った。
「ったく。羨ましいなら羨ましいで、不機嫌にならずにそう言えっての。そんで素直に甘えりゃ良いだろ。恋人なんだからさ」
どうやらその言葉が意外だったらしい。彼は目を見開き、瞬きを繰り返す。
「なるほど。その通りだ。では、鋼の。私を存分に甘やかしてくれ」
妙に偉そうにそう告げる男が可愛い、などと思ってしまうのはなぜだろう。
(いやわかってるけどさ。これが惚れた欲目って奴なんだよなきっと)
「ちょっと待ってろ」
言いながら立ち上がり、鞄から耳掻きを取り出すとソファに座った。
「ほら」
ぽんぽん、と自らの太股を軽く叩くと恋人を促す。すると彼は素直に体を横にし、頭をエドワードの太股に乗せた。
「片方は機械鎧だし、そんな感触良いもんじゃねぇだろ?」
一応足の付け根は生身だが、頭の一部は機械鎧の上に乗ることになる。タオルでも用意した方がいいだろうか、と思いつつ尋ねると、微かにロイは首を横に振った。
「いや。感触そのものはすばらしく良いんだが、……ただ」
「ただ?」
「案外、照れるものだね」
その言葉に、小さく笑う。どうしてくれよう。この男、やはり可愛いと思ってしまう。
「そんなもんかな。ほら、じっとしてろ。危ないから」
「……ところで、鋼の。その技はどこで取得したのかな」
耳を正面にさせ、耳掃除を始めるとあぁ、と指を動かしつつ口を開く。
「リンに習ったんだ。道具もくれた。シンじゃこうやって耳掃除すんだとさ。オレ、結構上手いって誉められたんだぜ?」
アメストリスにその風習がないので最初はこわごわとだったが、慣れてみるとそう難しいことでもない。
半ばリンに強引に強請られるようにして覚えたのだが、アルフォンスも気に入ったようだった。
「……ほう?」
声が低くなった。また不機嫌になりつつあるようだ。
「つまんないことで妬くなっての。これからはオレを独占できんだからさ」
指の動きを止め、もう片方の手で頭を撫でる。さらさらとした髪は触り心地が良くて、彼が自分の髪に触れたがる理由を知った。
「君は頭が良くて家事も有能で、その上男前で、完璧な恋人だ」
感嘆の響きで紡がれる言葉に、思わず笑う。
「それ、リンにも言われた」
「……どんな経緯でかな」
「耳掻き誉められついでにさ。ちなみにリン専属の耳掻き係りにならないかってスカウトもされたぜ?」
無論それは冗談だ。だが、どうも嫉妬深いらしい恋人には聞き捨てならなかったらしい。
「冗談なんだろうね」
「冗談に決まってんだろ。皇帝になったら妃五十人だぜ?」
「それは壮大だな」
そうだな、と頷く。正直なところ、五十人の伴侶、というものがエドワードには想像できない。この男一人で十分だ。それだって、時として手に余るのに。
「羨ましいか?」
五十人の妻、というのは元来女好きの男にとっては理想郷に等しいのだろう。そう思って他意なく尋ねると、彼は笑う。
「少し前なら、そうだったかもしれないな。だが、今は君がいればそれで良いよ。どんな美姫も君にはかなわない」
「アホか」
「ひどいな。本気で言ってるのに」
知ってる、と口には出さない。彼が本気で自分を好きなことくらい、もうとっくに知っている。それはきっと、彼も同じことが言えるのだろう。
――――完美情人になれるナ。
ふと、リンの言葉を思い出す。それは完全な恋人という意味なのだと言っていた。
リンは冗談で、ロイはおそらく本気でそう言ったけれど、自分は知っている。完璧な恋人は自分ではなく。
それは、この少しばかり嫉妬深い、困った恋人のことを言うのだ、と。
そんなところも可愛いと思わせる上に、有能な錬金術師で若くして佐官でさらに出世確実、性格もそれなり。部下も大事にするし、顔も上々。
しかも甘やかし上手の上に甘えることもできる始末。
(完璧すぎないところが完璧なんだよな)
完敗だよな、と思う。こんな男に口説かれれば誰でも籠絡するというものだ。
そんなことを思いつつ、いつの間にか無言の男へ見れば、あまりに心地よかったのか、それとも疲労がたまっていたのか、無防備に眠りの世界へと旅立っていた。それはたぶん、自分に心を赦しているなによりの証拠だ。
もう一度彼の髪を撫で、エドワードは密やかに幸福に酔いしれた。
END
