気 ま ぐ れ な 引 力
2
そうして、しばらく仕事を続けていたが、ふと時計を見ればそれなりに遅い時間となっていた。
自分は勿論、エドワードも夕食を取っていない、という事実に遅れて気づく。
「鋼の」
呼んでみたが、当然と言うべきか、彼は無反応だった。明らかにロイの声が彼には聞こえていない。
「鋼の」
もう一度呼ぶが、やはり聞こえている様子はなかった。一体どれだけの時間、彼は集中し続けることが可能なのだろうか。期限を三日と言ったが、この調子では徹夜して明日の朝には終わりそうだ。
(さすがに、徹夜を推奨する気はないんだが)
いくら急いだ方が良いとは言っても、そこまで緊急事態ではないし、眠れるならば眠った方が良いに決まっている。彼はまだ成長期だから尚更だ。
普段は己の決して高いとは言えない身長を気にしている様子なのに、エドワードはあまり自分の身体を労ると言うことを知らないらしい。
(まったく、手間のかかる)
そう思いつつ、エドワードへと視線を向ける。
すでに見慣れた、ひたすらにレポートだけに集中する彼の姿が見えた。ほとんど姿勢も変えていない。
目も疲れるだろうし、身体だって痛くなるだろうに、集中している間はそれらのことも全て忘却の彼方らしい。
軽くため息をつくと、彼の元へと歩み寄る。真後ろに立ったところでエドワードが気づくはずもない。見事だとは思うが、あまりにも無防備すぎるな、と思った。
旅の話を色々と聞いているが、それなりに危険な目にあっているというのに、何故ここまで無防備になれるのだろうか、と思い、やがてすぐに結論が出た。いつもは彼の傍らに必ず弟がいる。兄が無防備である分、兄の安全を弟が守るべく気を配っているのだろう。誰よりも信頼している相手が側にいるからこそ余計に、安心してエドワードは己の世界に没頭できるというわけだ。
(もっとも、今は側にいるのは私だけなんだが)
これだけ無防備になることを承知しているだろうに、良くもアルフォンスは兄を残して出かけたものだ。
それとも、その程度には自分を信頼した、ということだろうか。だとすれば悪い気はしないが、その信頼に応えるのはやや骨が折れそうだ。
だが、このままエドワードを放置して自分だけ帰るわけにも行かない。そこまで無理をする必要もさせる必要もないのだから、エドワードには申し訳ないがそろそろ作業を中断させるべきだろう。
切羽詰まった事態ではないのだから、アルフォンスでもそうするに違いない。
邪魔をしたと怒るだろうな、と思いながら彼の肩に触れた。だが、それでも彼は反応を示さない。とんとん、と軽く叩いてみたところ、ようやく面倒そうにエドワードが言った。
「あとでな、アル」
「私は君の弟ではないんだが」
思わずため息混じりに告げると、ようやく我に返ったらしい。ぎょっとしたような顔をして振り返った。
「大佐っ?」
「いかにも、その通りだが」
「なんで……っ」
言いかけて、周囲を見回す。やがて事態を把握したらしい。
「……もう、夜、だよな?」
「夜だね。時計が示すとおりの時間だよ」
「だろうな」
窓と時計を交互に見て肩をすくめる。それから軽く首を回した。
「みんなは帰ったのか?」
「君が集中している間にね。私もそろそろ帰りたいんだが、良いかな」
問うとあっさりと頷いたが、その後の言葉に更にため息をつく羽目になった。
「おぅ。オレはこのままこれやってるから帰るなら帰ってろ」
「……君はホテルに戻らないのかね」
「ホテルに戻ってもどうせアルいないしな」
即答されて不思議に思っている間に、更にエドワードが言葉を続けた。
「さっき、引っ越しを手伝って欲しいって打診されてたんだよ、アルの奴。あの連中じゃ、そのまま酒飲んでアルを酔っぱらいの話相手にしてるはずだしさ」
どうやらこの部屋に来る前に、すでにアルフォンスは予約済み、という状況であったらしい。『あの連中』と言うからには、エドワードもそれなりに知っている面々なのだろう。
考えてみれば、それなりにこの場所に来るわけだし、それなりに顔見知りが増えるのは当然だ。
(だが、意外だな)
確かにジャン達とも良く話すし、彼らは人見知りするわけでもない。だが、アルフォンスが『酔っぱらいの話相手』になることをエドワードが了承した、という事実が少しばかり不思議だった。
知らない間にそうなっていた、というのなら不可抗力だが、そうではないのなら、彼の場合反対するような気がしたからだ。
何しろ、アルフォンスは肉体を持たない。当然、飲む、という行動は無縁だった。
若くても酒を飲む若者は珍しくないが、アルフォンスの場合はそれ以前の問題だ。だが、そのことは基本的には内密事項のはずだった。
だが、飲み会となれば勧められるだろうし、断れば酔った勢いで絡む人間もいるだろう。もっともエドワードならともかく、アルフォンスが喧嘩を買うとは思えないが。
「君は許可したのかね?」
「オレの許可なんか必要ねぇだろ。まぁ、アルは几帳面だから引っ越しの手伝いして良いか聞いて来たけどさ。反対する理由もねぇし」
言って、それに、と小声で追加した。
「それに、たまには別行動とった方が良いんだよ。あいつはいつもオレに気を遣うからさ。もっと弟だし、我が儘言っても良いのに言わねぇんだ」
その口調が、どこか寂しげなのが気にかかった。
元々、エドワードはアルフォンスに対して負い目がある様子だ。それは身体を失った経緯を思えば仕方のないことかもしれない。
「その分、君が我が儘なら差し引きは零だろう」
「なんだそりゃ。そりゃちょっとは無茶も言うけど、それはそれだろ」
何が『それはそれ』なのかわからない。だが、この兄弟はそれで良いのだろう。
「それで、君は引っ越しの手伝いには呼ばれなかったのかね?」
問うと、その時のことを思い出したのか、少しばかり不機嫌になった。
「手伝いより邪魔になりそうだから来るなって言われた」
「なるほど」
腕力に期待できるアルフォンスには来て欲しいが、トラブルメーカーで、しかも修復はできてもセンスが微妙なエドワードは遠慮したい、ということだろう。その心理は確かに良く理解できる気がした。
「そんなわけで、オレはここに残るな。明日、誰か来るまでここにいれば戸締まりしなくても問題ねぇだろ?」
本気でここに残る気らしい。弟のいないホテルに戻るよりは、どうせ書かなければならないレポートの清書をやっていたほうが良い、ということだろうか。
「問題あるとも」
「え、何でだよ。別にオレ、仕事場荒さねぇぜ?」
「……別にそういう心配をしているわけではないよ。君は少し、自分の身体を労った方が良い。いくら若くても無茶ばかりは良くない」
その言葉にエドワードは二、三度瞬きをして自分を見上げている
「別に、一日二日の徹夜なんて大佐だって珍しくもなんともねぇだろ?」
図星だった。確かに、残念ながら珍しくもない。
「否定はしないが、それは徹夜する必要があるときだけだよ。その条件に今の君は該当しない」
「けど、早くできあがった方が良いんだろ、これ」
言って、書き上がった部分のレポートをひらひらと見せる。
「徹夜をするほど急がなくても良い。もしそれで君が倒れでもしたら大事だ」
「別に平気だっての。オレも徹夜なんて珍しくねぇし」
「だが、君の弟は徹夜を歓迎しないだろう?」
その言葉にエドワードが黙り込む。やはりな、と思った。本人だけが己の健康に無頓着であるらしい。
「今日はもう君も帰ると良い。多少眠った方が結果的には効率もあがるよ」
「そうとも限らねぇと思うけど。それにオレ、丈夫だから滅多に倒れねぇし」
本人は徹夜した方が効率がよい、とでも言いたげだ。確かに良く集中していたし、わからないでもないがやはり賛同する気にはなれない。
第一『滅多に倒れない』ということは、希に倒れることもある、ということだ。しかし本人は滅多に倒れないのだから多少の無茶はしても平気、と思っている様子だった。おそらく弟の苦労は絶えないだろう。その様子を予想するのが容易すぎ、内心でアルフォンスに対し、深く同情した。こんな兄を持ったら、さぞかし、本当に苦労することだろう。
「良いから。君は食事もしていないし、水分も取っていない。十分に不健康極まりないよ」
「平気だ、っつってんのに」
不満と未練をたっぷり残した様子ながらも渋々立ち上がる。
「書きかけのレポートは預かっておこう。君に渡したままだと、ホテルで結局徹夜しそうだからね」
その言葉にエドワードが小さく舌打ちする。やはりそのつもりだったのか、と思った。エドワードらしいと言えばらしいのかもしれないが、本当に弟の苦労が忍ばれる。
レポートを回収すると、エドワードを連れて部屋を出た。廊下には明かりはなく、月明かりを頼りに歩き始める。
「なぁ、大佐」
「なんだね?」
数歩歩き出したところでエドワードが自分を呼んだ。どうやら何かを思いついた様子だ。よからぬことでなければいいのだが、と内心で願う。
「ホテル戻るの面倒だし、仮眠室借りたら駄目か?」
「面倒がるほどの距離ではないと思うんだが」
確か、エルリック兄弟が良く利用する宿はここから徒歩十分ほどの場所だ。それくらいの距離ならそう遠いわけでもないし、第一エドワードは旅を続けているから歩くということにはあまり抵抗がないはずだった。だと言うのに、どうしてこの場所に執着するのだろう。
「ベッド余ってんだろ?」
「それは、そうだろうがね」
ここの仮眠室はかなり広めで、ベッドの数も多い。
それでも大型のテロが発生すれば満室になるが、少なくとも今現在、ベッドはかなりの数が余っているだろう。
「そんなにホテルに戻りたくないのかね?」
「別に、そんなんじゃねぇよ!」
過剰反応を示すと言うことは、頷いたも同然だ。一人ということにきっと慣れていないのだろう。
(まぁ、無理もないか)
まだ彼は子どもだ。孤独を恐れるのはむしろ当然なのかもしれなかった。
「面倒だって言ってるだろ。それに歩くと腹減るし」
「なるほど」
先程は集中力で食欲も忘れていただろうが、どうやら現在は思い出したらしい。しかしこの時間ではとうにどこも店じまいをしているだろう。この口調ではホテルに戻ったところで、食料の買い置きがあるとも思えない。
「では、睡眠の前に軽く食べた方が良いかな。ついてきなさい」
「あ?」
ぽかんと口を開けて不思議そうな表情を浮かべる。その表情に思わず吹き出した。
「笑うなよ!」
「いや、失礼。君は反応が素直で可愛いな」
言った直後、彼が顔を真っ赤にした。
(おや?)
彼のこんな表情は初めて見るかも知れない。
いつもいつも憎まれ口ばかりで、自分には笑顔を向けることも希だった。
「どこ行くんだよ?」
「もう到着するよ。目的地はあそこだ」
言って、扉を示す。何度もこの場所に来ていると言ってお、エドワードは自分たちの執務室と仮眠室、食堂、それから応接室に資料室くらいにしか足を運んだことがないのだろう。
ならばその部屋の存在を知らなくて当然だった。
「なんだよ、ここ?」
「見ればわかるよ」
扉を開けば一目瞭然だ。実際、エドワードも理解したらしい。
「厨房か?」
「と、言うほどたいしたものではないがね。君も知るとおり、ここは二十四時間人間が誰かしらいるが、食堂は夜中はやってない。だが、人間は腹が減るときは減る」
そして部屋も余っていた上に、東方司令部は一部の上官が非常に理解ある人間だった。おかげで、厨房とは呼べないにしても簡素な料理はできる部屋が食堂とは別に作られた、というわけだ。
「ここにある食料は基本的には勝手に使って良いんだ。ただし、利用したら後日適当に使った分だけ、別の食料を足すのが決まりだがね」
「それ、絶対喰うだけ喰って終わりって奴いるだろ」
「いるだろうな。まぁ、それはそれで人間性というものだよ。……さて、何があるかな」
何しろ、ロイとしてもこの部屋に来るのは久しぶりだった。しかも残念ながら料理は最低限できるがうまくない。
材料次第では、またエドワードを怒らせることになるかも知れなかった。
(できれば、それは避けたいんだが)
そうしてがさがさと探していると、それなりに食料はそろっている。それも保存食が多い。軍は男が多いせいか、最初から『料理を作る』という気がないのだろう。例外もいるのだろうが、少なくとも現存の軍人たちはその手の人間が多いことを物語っていて、そのまま食べることが可能なものばかりだ。
ただし、調味料の類だけはやけに色々あった。彼女と同棲していたが、別れてこれらの調味料が必要なくなった、というドラマでも存在したのかも知れない。
パンだけはそれなりに消費が激しいからか、いかにも買いたてのものが残っていた。どうやらこれなら怒られずに済みそうだ。
「ハムにチーズにパンか。バターもあるな。んじゃ、サンドウィッチってとこか」
エドワードも材料をのぞき込み、非常に簡単で現実的で妥当で無難なメニューを告げた。
「作れるかい?」
「サンドウィッチが作れねぇ奴がいるはずねぇだろ」
冷めた口調で言われ、それもそうだね、と頷く。確かに、ロイでもそれなら不味く作りようがない。もっとも、実際はロイの料理は決して不味くはなく、ただ美味くないだけではあるのだが、それはともかく。
「では作ってもらおうかな。私はここまで君を案内したわけだし、役割分担としては妥当だろう」
「全然妥当じゃねぇっての」
不満を述べたが、食料を目にして空腹を実感したらしい。口論することよりも実行することを選び、ナイフで材料を切り分け始めた。
「手際が良いな」
「普通だろ。ったく、これくらい自分の分は自分で作れっての」
無愛想に答え、そのままてきぱきと作業を進めていく。量から察するに、文句を言いつつもロイの分も作ってくれている様子だ。天の邪鬼な彼らしいと思い、微笑ましい気分になった。
「何にやにやしてんだよ。できたぜ」
「いや、嬉しいなと思ってね」
「何がだよ?」
見つけ出した更に盛りつけながら尋ねられたので、笑顔で答えた。
「君が私のために料理を作ってくれるなんて感激だ。私が思っていたほど、君には嫌われていなかったようで嬉しいよ」
「な、何言ってんだ馬鹿っ!」
瞬間、彼が顔を真っ赤にする。見れば耳まで赤い。しかもずいぶん、取り乱しているように見えた。いつもならもっと冷めた口調で罵るというのに。
(……?)
「それよりこれ、どこに運ぶんだよ。もしかして立ち食いすんのか?」
いかにも会話を変えたい、とばかりにエドワードが言う。未だに、顔は赤い上に自分を見ようともしない。
「そうだね、隣の部屋に行こう。適当なソファとテーブルがあるはずだよ」
ここが簡易厨房なら隣室は簡易食堂と貸していた。もっとも、この場で立ち食いする人間もいるだろうし、自身の仕事場へと持っていく人間もいるだろう。隣室は古びれているが、それなりに長く立派なソファを置いてあるものの、それを仮眠用ベッドにしてしまう人間もいる、とジャンがぼやいているのを聞いたことがあった。
「へぇ。よほど部屋が余ってんだな」
その感想に、そうだね、と頷くしかない。なにしろ事実なのだから。
「まぁ、余ってる方が良いよな。そんなに軍人があふれかえってるってのは、あんま良い状況じゃねぇし」
「そうだね」
実際は、それは東方司令部だからであって、中央司令部には余っている部屋などないだろう。
だが、そこまで言う必要を感じなかったから頷いておく。
彼がテーブルへと向かっている間に、先程の簡易厨房に戻るとグラスを取り出して軽く洗ってから水を注ぐ。どうせならば他の飲料の方が良いが、ないものは仕方がない。
それに例えば牛乳があったところで、エドワードの返答は目に見えている。そう思い、口元に笑みが自然に浮かんだ。
そうして、たまにはこんな夜も良いな、と思う。
素敵な女性と食事をして、夜を共にして。そんな夜を好んできたが、こうしてエドワードと簡素な夕食を楽しむのも悪くない。何より、それは彼の手製だ。こんな機会は滅多にない。
そう思うと、更に顔が緩んだ。これも一つの、最高の夜だと、そんな風に思う自分が妙に可笑しかった。
◇■◇
