幸福な敗北
「何やってんだよ、チビ助」
とんとんとん、とリフティングをしていると、不意に貴志が声をかけてきた。
東京選抜の練習日、の練習終了後。そんなシチュエーションで、着替えも
終了した状態の自分がリフティングをしていれば、奇妙に思うのも無理はな
いのかもしれない。
「水野くんが着替えるの待ってたんだけど。なんか、ただ待ってるのって性
に合わないから」
事実を述べると、ひどくつまらなさそうにそうか、と言われた。
「うん」
たまたま、自分が先に着替え終わって、竜也を待っている、という状況は取
り立てて珍しいことでもない。その反対も当然良くあることだ。
家がお互い近いわけだから、一緒に帰るのは当たり前の事だろう。もっとも、
最近は竜也と二人で帰る、というよりも、団体で帰って駅やでそれぞれ別れ
ていく、というパターンの方が圧倒的に多いから、竜也を待っている、というより
は「みんなを待っている」ということになるのかもしれない。
見れば貴志も着替え終わったばかりのようだ。
今回は、FW陣は非常にスムーズに練習も、その後のミーティングもどきも
終わったから、当たり前と言えば当たり前なのだけれど。
「じゃ、待ってる俺と間やるか?」
「…良いの?」
「別にかまわねぇよ。時間有るしな」
何をするのか、と言えば、単純なボールの取り合いだ。けれど、単純だけれ
ど、一人でリフティングするよりも自分の欠点の復習はしやすい。何よりも楽し
かった。
「ありがとうっ」
にこにこと礼を言うと、一瞬、貴志が不思議な表情を浮かべた。まるで、照れ
ているような。
(そんなわけ、ないか)
照れる理由もない。例えば自分じゃなくて、玲あたりなら、あるいはそれも有
り得る話なのかもしれないが。
「そーだ。賭けしようぜ?」
「賭って…、何を?」
不意に思いついたように言われ、問い返す。当たり前だが金銭をやりとりする
つもりは毛頭無かった。
「ま、単純なやつで良いぜ。例えば負けた方が勝った方の言う事を聞く、とかな」
「…それ、無茶な事言わない?」
「多分な。負けるのが怖いなら、やめても良いぜ?」
に、と自信ありげに笑われる。しかし、誠二と鼻からラーメン、等というあやしげ
な賭をやった男だ。負けるつもりはなくても、それはちょっと嫌だった。
「…心配しなくてもそんなことやらせねーよ…」
考えている事が分かったのか、そう言われた。
「別に、心配してたわけじゃ…」
誤魔化してみたが、それは多分限りなく無駄だった。気を取り直して、問う。
「ルールは?」
「5分以内で、ボールを持ってる方の勝ち」
非常に単純なルールだった。
「分かった」
貴志が携帯電話のアラーム機能を設定し、荷物の上に置いた。
「じゃ、やろうぜ?」
言われたその台詞を合図に、ぽん、とボールを投げ、短いゲームが始まる。
ボールを先に手に入れたのは貴志だった。
ダイナミックな動き、パワーのあるシュート。鳴海のプレースタイルはお互い
大型だからか、成る程燎一と似ている。もっとも、大柄だからこそ、自分のよう
な小柄なタイプの方が小回りが利く分、苦手らしい。
最近はこんな風に、良く練習もどきにつきあってくれるから、貴志の動きが読
みやすくなっていた。
ボールを追いかける間は、お互い真剣勝負だ。じっとボールを見つめ、彼の動
きに細心の注意を払う。
そうして、考える間もなく身体が勝手に動き、ボールを求めた。一度目は、
失敗。二度目も失敗。
「まだまだだなっ」
得意そうに貴志が言う。
それは耳をかすめたが、聞こえないも同然だった。
ただ目の前のボールを目が追い、反応する。
「……っ」
気が付いた時には、自分の足下にボールが存在していた。
「この野郎っ」
取り返そうと彼が躍起になったのが分かった。それで、自分も尚更必至に守ろ
うとする。
けれど、ひどく単純なフェイントに引っかかってすぐにボールを奪われてしまった。
もう一度奪い返そうと動いていたが、やがて貴志の携帯が鳴り、ゲームの終了
を告げる。
「今日は俺の勝ちだな」
「……」
くやしい、と素直に思う。彼のクセを理解してきたから、逆に読めなかった。まだ
まだ自分は練習不足だ、と痛感する。
「ま、少しは上手くなったんじゃねぇ?」
その台詞を、貴志が言うとは思っていなかったのでひどく驚いた。
「どうしたんだよ?」
よほどそのリアクションがオーバーになってしまったのか、不振そうに問われる。
「鳴海が褒めてくれるなんて、思わなかったから」
「あぁ? なんだそりゃ」
貴志が不服そうに言う。本当に褒められるなんて思っていなかったから、ものす
ごく驚いた。
勿論、嬉しいが、それよりも照れくさかった。恥ずかしい、と言う方が近いかも
知れない。
「言っとくけどな、下手くそがちょっと上手くなってもまだ下手なんだぞ?」
「うん。わかってる」
だから、もっともっと努力して。上手くなりたい。貴志達に追いつきたい。邪魔に
ならないように。もっと、良いプレーができるように。良いサッカーができるように。
「…分かってるなら、良いけどよ」
「うん。もっともっと、鳴海に近づきたいんだ」
本音だったから、真顔で言うと、何故か貴志の顔が赤くなった気がした。しかし、
これもありえないことだから気のせいなのだろう。
「…お前、もっと言葉選べよな…」
「?」
きょとん、として貴志を見上げる。相変わらず身長が高くて体格も勿論良くて、
非常に羨ましい。自分もこうだったら良いのに、と思う。純粋に、その姿はあこがれ
だった。
「…ったく。仕方ねぇか」
何かをあきらめたように呟きながら、くしゃくしゃと髪の毛をかき回された。
「ちょ、鳴海っ…」
抗議をしてみても、貴志はおもしろがって続ける。
「さて。俺が勝った事だし。今度の日曜日、買い物つきあえよ。お前荷物係な」
「そんな事で良いの?」
もっととんでもない事を言われるかもしれない、と思っていたから拍子抜けだった。
「別の事にしようかとも思ったけど、俺は卑怯者じゃないからな」
(…卑怯者…?)
一体どんなことを希望すれば卑怯者になると言うのか。
「何、やってるわけ?」
そこへ、ひどく不機嫌そうに翼が声をかけてくる。それでようやく貴志が頭をくしゃ
くしゃにするのをやめてくれた。
振り返ると、翼の他に竜也達もいる。どうやら皆一斉に着替え終わったらしい。
「ちょっと、鳴海につきあってもらって練習してました」 事実を述べたが、翼は不機
嫌なままだ。練習中はいつも通りだったのに、何かあったのだろうか。
「…ふぅん?」
意味ありげに貴志を見上げると、貴志も何を対抗しているのか、同じように翼を見
返していた。
(?)
「じゃ、俺も帰るわ。チビ、後で電話するからな」
「うん」
団体で帰るのは性に合わないだろう貴志の台詞に頷いて、ばいばい、と手を振った。
「なんで、鳴海が将に電話するわけ?」
翼に問われ、あぁ、と返事をする。
「さっき、賭けして負けたから。鳴海の買い物の、荷物持ちをやることになったんです」
「負けるなよ、そこで。…買い物、ね」
納得した顔をして、それからにこり、と自分に向かって笑いかけてくる。
「ぼくも丁度日曜、買い物に行く予定だったんだ。な、柾輝?」
同意を求められ、柾輝はあきらめたように口を開いた。
「へいへい」
「なんだよ、不満な訳? とにかく、そーいうことだから、もしかしたら偶然会うかもね」
台詞の前者は柾輝に、後者は将に向かって翼は言う。
「そうですね」
何しろ、自分たちの買い物、なんて大抵は皆サッカーがらみで、皆東京都民なわけ
だから、結構行き先は固まっている。ありえない偶然ではなかった。にこにこと笑いな
がら同意する。
「………」
「どうかしました?」
「…いや、あんまり将が無邪気に言うから、ちょっと奴に同情しかけただけ」
奴、というのはおそらく貴志だろう。けれど、どうして同情などするのだろうか。
「…?」
「良いよ、分からないで。さ、帰ろう」
促され、団体で歩き出す。
(次の日曜日、かぁ)
なぜだか、荷物持ちをするのに、ひどく待ち遠しく思えた。そういえば、貴志と一緒に
出かけるのは初めてだ。
(晴れると良いな)
賭に負けたのに、どうしてこんなに楽しみになのだろう。
それに、なんだかどきどきする。
少しだけ理由を考えてみたけれど、すぐに止めた。負けて悔しいけれど、嬉しい。
そんな不思議な敗北も、きっと世の中にはあるのだ。
(そう言えば)
ふと、思い出す。恋は先に恋した方が負けというけれど、それは何故なのだろう。
自分には、まだ関係ないけれど。
けれど、もしかしたら。
もしかしたら、恋に負けるのも、こんな幸福な気分なのかも知れない、と将は思った。
――――――もっとも。
その日曜日、翼と柾輝どころか、竜也やら多紀やら、なんだかやたら選抜メンバーに
「偶然」出会ってしまうのだが。
それは、後日のお話。
END