夢寐の楽園
3
辿り着いたのは、呆れるほど広い屋敷だった。まず、門が大きく、そこから家へたどり着くまでが遠い。それこそ、庭が公園のようだった。
広い屋敷自体はアメストリスを旅しているときにいくらでも見たし、こちらの世界でもいくつか見ている。だが、これがこれから会う相手の住まう屋敷だ、と思うとややげんなりとした気分になった。
(そりゃ、仕事も選ぶわな)
これだけの屋敷に住まう、ということは間違いないなく、金銭に不自由などしていないだろう。庭木の手入れもされているし、対応に出てきた使用人の態度も一流のそれだった。
そんなことを考えながら使用人に示されたとおり歩くと、やがて目的の人物が手を振っているのが見えた。
彼は庭にしつらえてある椅子に座っている。その目の前にはテーブル。テーブルの上には、いくつかの茶器類と軽食が載っていた。どうやら優雅に茶を楽しんでいる最中だったらしい。
「やぁ」
にこり、といっそ胡散臭いとすら言えるほど爽やかな笑顔を見せる相手にエドワードは微笑みを浮かべることができない。
「……よぉ」
変わりに出たのは、低い声だった。対して彼は、――この世界に存在するロイ・マスタングは気分を害した様子もない。ただ、にこにこと笑っている。その笑顔に覚えがあるだけに複雑な気分になった。
これは何か、自分に良からぬ依頼があるときにあの男がが良く浮かべていた笑顔だ。
(つーか、何もかも予想通り過ぎて嫌になるぜ)
そう思わずにはいられない。ラングに話を聞いたときから、嫌な予感はしていた。そして嫌な予感とは的中するものだ。
案の定、ラングの『使いたい役者』は目の前の男で、教えられた電話番号に連絡し、名を告げるとこの場所に来るように、と言われた。電話に出たのはこの男ではなかったから、きっと使用人だったのだろう。
「なんでオレを名指しにした?」
「まずは座りたまえよ。飲み物は何が良いかな。紅茶とコーヒー、それともミルクでも?」
からかうようなその声音に、怒声をどうにか堪える。今、この男を怒鳴るわけにはいかない。ラングはこの男を使いたがっている。正直、やめたほうが良いように思うが、とりあえずそれが彼の望みだ。そして、エドワードには彼に恩義がある。できれば彼の望みを叶えたい。
「紅茶で良い」
返事をし、示されるまま向かい側の席に座る。使用人ではなく、彼自ら茶を振る舞ったのが少し意外だった。
「君に逢いたかったんだ、エドワード」
紅茶を差し出しながら、ロイはそう言った。それが、エドワードを名指しした理由だ、と。
「……何、言ってんだあんた?」
逢いたい理由など、どこにあるだろう。彼と、――この世界のロイ・マスタングと逢ったのはつい先日のことだ。それ以前に逢ったことなどないし、先日だってたいした会話は交わしていない。それなのに。
「逢いたかったんだよ」
重ねてロイは言い、微笑んだ。その笑みを見て懐かしい、と思ってしまう自分を恥じずにはいられない。彼は、彼ではない。そう、分かっているのにと唇を軽く噛む。
「君を初めて見かけたとき、私は『見つけた』と思ったんだ。やっと見つけたんだ、と」
「既視感か、何かだろ」
すげなく言うと、そうだろうな、とまたロイは笑った。
「だが、初対面なのに逢いたかった、と思ったんだ。……君を見つけて、呆然と見ていたよ。君は真剣に書類を読んでいて、そして風が吹いた」
覚えている。つい最近のことだ。忘れるはずもなかった。強い風、舞う書類。そして聞こえる、シャッター音。
「気がついたらシャッターを押していた。カメラは以前からの趣味だが、あんな衝動は初めてだったよ。きっとこんな状態を一目惚れと言うのだろうね」
その言葉に、ため息を一つ漏らす。
そう言えば、あちらの世界のあの男は口がうまかった。そうして女を良く口説いていたらしいと聞く。こちら世界のロイは、女だけではなく男まで口説くらしい。
「……そんでオレに逢いたかった、って言うわけかよ?」「あぁ」
彼はエドワードの書類を見ている。実際、映画関係者なのか、と聞かれもした。書類のどの部分を見たのかは知らないが、きっとラングの名も記載してあったのだろう。
「記憶力が悪くなくて助かったよ。おかげで、また君に逢えた」
(良く言うよ)
エドワードの名を知った頃には、こうして呼び出すつもりだったに違いない。そして実際、自分は彼の望み通りにこの場へとやって来た。
「金持ちってのはよっぽど暇らしいな」
「否定しないよ。役者も暇つぶしで映画に出てみただけだからね」
役者を真剣に目指している者が聞いたらさぞかし立腹するだろう台詞だが、間違いなく本人は本気だろう。恵まれすぎるほど恵まれた人間というのも、この世にはいるものだ。
「んじゃ、役者を一生の仕事にする気はないわけか」
「今のところはね。もっとも、残念ながら他に興味のある仕事もないがね」
「見たところ、別に生活に困っちゃいねーみてぇだしな」
退屈だから役者をし、他の仕事にも特に興味がない。だが、生活にも困っていない。こうして優雅に茶を飲む余裕があるばかり。
「確かに、生活には当分困る予定はないな。だが、君が依頼するのなら映画に出ることを考えても良い」
どこまでも嫌な男だな、と思った。
下手すると、あちら世界のあの男よりも性格が悪いのではないか。甘やかされ、全てが思い通りになる金持ちの我が儘息子。たぶん、目の前の人間はそんな存在だ。
(どーすっかなぁ)
自分が頼めば、確かに頷いて映画に出るかもしれない。だが、いくらラングが『使いたい役者』と思ったところで、『良い役者』とは限らない。更に言うなら、おそらく扱いにくい役者になるだろう。
(だったら、コイツが映画に出ない方が結果的には良いんじゃねーのか)
つい、そう思ってしまうのは、彼には近寄らない方が良い、と本能が告げるからかもしれない。
あまりにも姿があの男に似ている。そして同一の名前を持っている。
それは無論、この男の責任ではない。名は自分で選べるわけではないし、姿も同様だ。声も。
それは分かっているけれど、この男を目の前にしているとどうしてエドワードは思い出してしまう。アメストリスに今もいるだろう、あの男の事を。
「……考えて、ってことは、了承するとは限らないわけかよ?」
念のために尋ねると、じっとロイはエドワードを見つめた。その視線に、少したじろぐ。
「少なくとも、脚本を読まなければ返事などできるはずもないだろう?」
もっとも言えばもっともな返答だ。最初はその脚本にすら興味をこの男を示さなかった、ということを考えれば、前進には違いない。
「じゃ、脚本」
鞄を開き、元々渡す予定だった脚本を取り出す。あいにく、テーブルは菓子や茶器で空白部分はなく、置くことはできなかった。
仕方なく左手で脚本を差し出すと、ロイは手を伸ばす。脚本を受け取ってくれるのか思ったが、彼はエドワードの腕を掴んだ。
「……私は、君に一目惚れした、と告げたはずだが」
「…………言ったな。確かに、聞いた」
「それなのに、それに対してはなんの反応もないのは何故かな?」
きっと今まで、彼が愛の言葉を紡げばそれだけで周囲の人間は彼の望む反応を見せたのだろう。けれど、エドワードは違った。そのことに苛立ちを感じたのか、怒りを感じたかしたらしい。
「反応するほど、あんたの事を知らないし知りたくない」
それは正真正銘、エドワードの本音だった。目の前のロイは、ただ自分の知る人間と酷似した他人に過ぎない。混同するのは相手にも失礼だし、自分にとってもろくなことにならないことはもう知っていた。
「つれないな」
聞き覚えのある台詞に、思わず苦笑した。どうして、そんな台詞の言い方一つすら、そんなにも似ているのか。
「私は君が好きなんだ」
「勘違いだ。第一、あんたは女好きだろ」
真剣な口調で言われたが、あっさりと流した。彼は女好きに違いない、ということは半分以上確信していた。
「それは、否定しない。だが、君に惹かれた。不思議なほどに」
「だから、勘違いだって。それこそ役者やってりゃ、いくらでも美人に巡り逢えるだろ。あんたなら、きっとよりどりみどりだ」
「媚びることしか知らない女には飽きたんだ」
なるほど。だから自分なのか、とぼんやりと思った。恵まれすぎるほど恵まれている男。女も選びたい放題で、媚びられることにも慣れ、そして飽きた。この男の周囲にいる男も、違った意味で媚びる人間が多かったのかもしれない。
「君は違うな。どこか挑戦的に私を見たかと思えば、泣きそうな顔をすることもある。そんな君に、私はとても興味がある」
「泣きそうな顔なんか、してねぇっ!」
気がつけば、怒鳴っていた。それはきっと心当たりがあるからだ。
「していたよ。初対面の時にね。君が泣き出すかもしれないと、そう思った」
「してねぇって言ってるだろ」
ロイの顔を見て驚いた。あまりにも。あまりにも、似ていたから。確かに、あのまま、自分は泣いても不思議ではなかった。――夢でも良いから逢いたいと、そう思った顔だったのだから。
だが、それを目の前の男に伝える気はなかった。男の手を振り払い、立ち上がろうとする。けれどすぐに、再び彼の腕がエドワードを捕らえた。
「気に障ったのなら謝る。もう少し、一緒にいてくれないか」
「……っ」
結果的に、再び座ったのはラングの顔と、アルフォンスの顔が脳裏に浮かんだからだ。
――――その役者さん、仕事を引き受けてくれると良いね。
どこまでも無邪気に、アルフォンスは言った。彼に、その役者はロイに酷似した男だ、とは告げていないから、それは当然の反応だっただろう。
「……それで。オレが好きで、オレをどうしたいって言うんだよ?」
はぁ、とため息をついてから、とりあえず気を落ち着かせるために紅茶を一口嚥下した。
ふわりと口腔に広がる上品な芳香。相当美味い茶なのだろうが、今のエドワードに味を楽しむ余裕はなかった。
「君は随分、直球だな」
「回りくどいことが嫌いな性分なんでね」
もう一口、紅茶を飲んだ。気がつかないうちに、自分は相当喉が渇いていたらしい。
「ならば素直に私の恋人になって欲しい、と言ったらなってくれるのかな」
「断る」
返事は迷わなかった。即答すると、ロイは苦笑を浮かべる。
「少しは迷ってくれても良いだろうに」
「あんたも男で、オレも男。しかもあんたはどう見ても遊び慣れてる。迷わない理由なんてないだろ」
「金持ちで、顔も悪くなくて、それも一応役者相手なら、迷わず頷いてくれる人間の方が圧倒的に多いよ。女は勿論、おそらくは男でもね」
どうやら自分という存在を良くも悪くも正確に認識しているらしい。その上で、エドワードを恋人に、と言っているのだから始末が悪かった。
「なら、恋人はともかくとして友人になってはもらえないかな。……映画の件も真剣に検討するよ」
譲歩を示され、答えに迷った。否、ということは簡単だ。
けれど、相手も譲歩したのだから自分も譲歩するべきか、という気がしてくる。
それがこの男の手かもしれない、とも思うが、そもそも自分がここへ来たのは映画に出て欲しいが為なのだからここはやはり、頷くべきだろう。もっとも、それが映画の件を検討する条件、というのは何とも奇妙な申し出ではあるが。
「あんたと友達、ね」
なんとも釣り合わない言葉だ。そう思いながらも肩を竦めた後に頷いた。
「良いぜ」
「それは良かった」
ロイは笑った。それはどこまでもあの男そのものの笑みで、ほんの少しだけエドワードは切なく思う。
きっとこの男は物事に飽きやすい性質であるに違いない。先ほどの女性に対する発言を聞けばそれは想像がつく。
だからきっと、自分との友人ごっこにもすぐに飽きるだろう。それまでの、期間限定の話だ。この男は、すぐに自分への興味を失う。
その日が待ち遠しい、と思った。
この男が。ロイが、自分を見なくなるその日が、本当に。――切実なほど、待ち遠しかった。
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