夢寐の楽園
4
「……オレは確かあんたの友人、になったんじゃなかったか?」
ロイに向かって、呆れた声音を出すことはすでに当たり前になりつつある。本当にこの男はエドワードを呆れさせてばかりいた。
「そうだな。残念ながら、未だ君と私は単なる友人だ」
相変わらず、にっこり、と最上級の笑顔を忘れずにロイはそう言った。この男と会うたびに自分は笑顔ばかり見ている気がする。
「じゃぁあんたは、男友達相手に、二人だけでドライブしたり、高級レストランで食事したり、映画を一緒に鑑賞する趣味があるのか?」
問う声はどうしても低くなる。友人に、と言われ、頷いたのは確かにエドワード自身だ。けれど、本当にこれは友人としてのつきあいなのだろうか、と思わずにはいられない。
頷いた日に家の電話番号と住所を聞かれたのは仕方ないとしよう。だが、翌日になるとロイは高級車に乗ってエドワードをドライブに誘った。断ると食事に誘われた。更に断ると、ならば映画に、と言ってきた。そしてそれは一日だけではなく、連日のものとなったのだ。
「今まではなかったが、現在はそうらしい」
悪びれもせず、彼は笑顔を浮かべたままだ。
がくり、と力なく項垂れる。呆れるしかなかった。
自分が例えば、絶世の美女だ、というのなら彼のこの反応も分かる。つれない美女を口説き落としたい、とこの男ならきっと思うだろう。
けれど、自分などを口説いて一体何が楽しいというのか。考えたところで、エドワードにわかるはずもない。
「それより、今日こそ頷いてはもらえないかな。もう一週間、断られっぱなしだ」
聞いて、そうか、もう一週間になるのか、と思う。もう一週間も、毎日毎日、彼はこうしてやって来ているのか。そんなに暇なのだろうか、と思い、その結論はすぐに出た。暇つぶしで役者をやるほどだ。作ろうと思えばいくらでも時間が作れる身の上なのだろう。
「……映画だけならつきあっても良い」
逡巡の後そう答えたのは、単純に今日は比較的時間に余裕があった為だ。早い話、休日だった。
普段は一応ラングの手伝いをしているから、暇などあまりない。無論、ラングに言えばある程度融通は利くだろうが、ただ遊ぶためだけに休みをもらう気にはなれなかった。
「映画の好みは?」
「特にない。あんたの好みで良い」
何しろ、映画など良く分からない。ラングの作品だけは全て見たものの、それだけだった。けれどなるべく多くの映画は見ておいた方が良いのだろう。
「分かった。では、乗って」
助手席に乗るように、と示され、渋々彼の車に乗り込む。日々、乗っている車が違うあたりがいかにも道楽者だ。運転手がいないのは、単に本人の好みだろう。
車が走り出すと、ロイは楽しげに次々と話しかける。けれど、特に目立った趣味などもないし、返事はとぎれがちだった。答えながら、我ながら随分つまらない人間だな、と思う。
けれど、ロイは上機嫌だ。アメストリスのロイは、自分に向かって皮肉気味に笑うことはそこそこあったが、こんな風に満面の笑みを見せることなど滅多になかった。だから、これはやはり別人なのだ、とエドワードはまるで確認するかのように思う。
「君は、私の顔が好きなのかな」
じっと車を運転する彼の横顔を見ていたからだろう。問われ、軽く首を左右にふり、視線を前に戻す。
「別に、好きじゃねぇよ。……ただ、知ってる奴に似てるから見ちまうだけで」
そう。別に、あの男の顔を好いていたわけじゃない。確かにそこそこ整っている顔だ、と改めて見ると思うが、エドワードは特に美貌の主に興味があるわけでもない。
「知ってる奴、か。さぞ良い男だったんだろうな?」
「言ってろ。……性格が悪くて、口も悪くて、雨の日は無能で、案外気の短い男だよ。結構怒鳴られたし、むかついてた」
それは全て、エドワードにとっては真実だ。
決して、清廉潔白な男ではなかったし、それなりに怒鳴られもした。自分は良く反発していたものだ。
「……今となっては、懐かしいけどな」
口調が自然、柔らかくなり目元が笑った。そんなエドワードに対して、ロイは何か言いたげに口を開きかけたが、すぐに閉じた。その後は、彼らしくもなく黙り込み、車の運転に専念する。
そのことを少しだけ不思議に思ったが、ロイもそろそろ話題に尽きたのだろうな、とエドワードは思う。何しろ共通の話題などないのだから当たり前だ。答えるのも疲れてきたし、丁度良いと思った。
本当に変な男だ。自分などに構うよりも、もっと美しい女と遊んでいる方がずっと楽しいだろうに。
だが、アメストリスのロイも、必要最低限以上、自分を構っていたように思うから、そういうものなのかもしれない。
彼と出会った頃、自分は本当に子どもだった。前しか見えないけれど、前すらも見えなくなるような。猪突猛進の、子ども。
きっとあの男はさぞかしそんな子どもの対応に苛ついていたことだろう。その上で、彼は自分を滅多に子ども扱いしなかった。
出逢ってから、まだ十年も経過していないけれど、もう随分昔のできごとのような気がする。
思い出し、つい口元に笑みを浮かべてしまう。
彼がいたから、自分は国家錬金術師を目指すことを決めた。……無論、逢わなくてもいずれは目指したかもしれない。だが、その存在がなければそれは数年、遅れていただろう。
そうしたら、今、自分はこの世界にいない、そんな未来を送っていたかもしれない。それはもうあることのない、『もしも』でしかないけれど。
今、ラングが自分にとって恩人であるように、アメストリスのロイ・マスタングもまた恩人だった、と今なら思える。
そしてそれだけではなく、あの男は自分にとって、とても大きな存在だった。
その事実に気付いたのはいつの事だっただろう。明確にその感情を自分が知ったのは。
ちら、ともう一度ロイの顔を見た。やはり、良く似ている。似ているけれど、やはりこの男は別人だ。
(そう。別人だ)
あまりにも当たり前すぎる、その事実。
(この世界で生きていくって、決めたくせにな)
この世界に来たばかりの頃、アメストリスに戻ることばかり考えていた。そうして、アルフォンスの無事をひたすらに確かめたかった。それからほんの少し、……けれども確かに、あの男にも会いたい、とも思った。
だが、今は違う。自分はこの世界で生きていくと確かに決めた。
――――ぼくたちは。
だからこそ、きっと一生忘れられないだろう、忘れてはいけないだろう台詞がある。
――――あなたの夢の中の存在じゃないよ……。
その言葉を自分に告げたのは、弟に瓜二つの姿を持ったもう一人の『アルフォンス』だ。自分はひたすらに、この世界でアメストリスの面影を探していた。彼は、その最たる存在だろう。
あまりにも、アルフォンスは良く似ていた。もう一人の、アルフォンス。
面倒見が良くて、身体が弱くて、優しくて。けれど自分は、どれだけ『彼自身』を見ていただろう。
――――――――彼は、もういない。
死因はショック死なのか出血死なのか。そんなことはどうでも良かった。確かなのは、その死はエドワードがもたらした、という事実だけだ。
彼は、アルフォンスはエドワードをアメストリスに帰してくれようとした。その行動こそが、彼の命を奪った。それは絶対的な事実。……自分が、彼を殺した。
誰も自分を責めない。グレイシアも、ノーアも何も言わなかった。
だからこそ、エドワードは自分を責めずにはいられない。自分は与えられるばかりで、何も彼にできなかった。彼を弟の身代わりのように扱って。弟の面影を、彼に探して。そうやって、どこまでも彼を傷つけた。
あの時、彼はどんな気持ちでその台詞を言ったのだろう。そう思う度に、胸が痛む。
彼の言うとおり、アルフォンス・ハイデリヒは夢の中の存在ではなかったのに。そこに、自分の目の前に存在していたのに。
この世界で彼は精一杯、生きていたのに。
(そうだ。この世界は、夢じゃない)
だからこそ、自分はこの世界で生きていく。この世界の住人は、誰もがその人個人でしかあり得ない。
あの世界の。アメストリスに似た『誰か』ではなく。
ちら、ともう一度ロイの顔を見た。見ながら、もう止めよう、と思う。
彼と、ロイは確かに似ている。けれど別人で、だから面影を探してはならない。それはあまりにも、二人のロイに対して失礼だ。
だから、もう止めよう。
――――――彼を見て、あの男を思うのは。
流れて変わる景色を見ながら、そうエドワードは決意する。
あの男のことを、きっと自分は忘れられないだろう。けれど、彼等はそれぞれの世界で別の人生を歩んでいる。
混同してはならない。そう、決して。
(当たり前のことだけどな)
あまりにも当たり前のことを決意する自分が滑稽だった。こんなにも、自分は脆かっただろうか。
小さく、自嘲の笑みが漏れた。
ロイは何も言わない。今はその沈黙が心地良かった。
back novel next