夢寐の楽園








 映画を見る、と言ったからには連れて行くのは当然、映画館だろうという予想は見事に外れた。
 ロイは黙々と車を運転し、そして到着したのは以前エドワードが尋ねた彼の住居だった。
「どーいうつもりだ」
「無論、映画を見るつもりだよ」
 唸るように問うと、彼は平然としてそう答えた。車を降りる際も、まるで女をエスコートするかのようにドアを開き、手を差し伸べてくる。当然ながら無視して勝手に外に出た。
「ついてくれば、君も納得してくれるはずだよ」
 その言葉を訝しく思いつつもロイの後をついて行くと、屋敷の中へと招かれる。外見同様、中身も随分と豪奢な屋敷だった。
 広い屋敷だが、使用人はそう多くないようだ。長く広い廊下をひたすら歩いていると、やがて目的地に到着したらしい。扉を開き、入るように、とロイが手で示す。
 入室して、息を飲む。特別広いわけではないが、それが何のための部屋なのかはすぐに分かった。
細かい設備については知らないが、正面にはスクリーン。それらが良く見えるだろう場所にはいくつかのソファとテーブル。 
「……自宅に映画館があるってか」
 金持ちのやることは良く分からない。心の底からそう思った。
「映画館と呼ぶには簡易すぎるがね」
 答えながら、ロイに座るよう奨められ、大人しく腰を下ろした。当然のように、彼も隣に座る。程なく、使用人が現れたかと思うと部屋を暗くした。
「何か、飲み物は?」
「必要ない」
 答えると、軽く肩を竦めたのが分かった。エドワードはスクリーンだけを見つめる。
 やがてフィルムが回り始めた。優雅な白黒世界の物語にとりあえず没頭する。
 出てくる女優達は美しい。ストーリーは恋愛ロマンスなのか、少しばかりエドワードにとっては退屈な内容だった。
 あまり興味は惹かれないながらも見ていると、やがてロイがこの映画を自分に見せた理由が分かった。
(なるほどな)
 主人公の友人役としてロイが出ている。とりあえず、大根役者ではない、ということだけは分かった。だが、演技に詳しくないエドワードが理解できるのはそれだけで、特別うまいとか才能がある、などとは思わない。
ただ、その場にロイはいる。いつもエドワードが見るのと同じ笑顔で微笑み、台詞を告げる。自然体、と言って良かった。きっと緊張など欠片もしなかったに違いない。存在感は確かにある。眼を引く存在、とでも言えばいいのか。
映画の筋自体はやはり特に興味をそそられる内容ではなかったが、居眠りは避けられた。
 物語は過剰な演出をされながら進み、最後は美しい悲恋で幕を閉じる。娯楽としてはまずまず、と言ったところだろうか。
「感想は?」
「……全体的にあんたの存在感がありすぎる」
 言いながら立ち上がり、窓へと寄った。
「窓を開いても良いか?」
「構わないよ。ところで、それは褒め言葉なのかな」
 了承を得て暗幕を引き、光を入れる。暗さに慣れていたから、昼間の光はひどく眩しかった。
「あんたが主役なら、褒め言葉になるかもな」
 だが、それだけの存在感があるからこそ、ラングは使いたい、と思ったのだろうか。役者の善し悪しは良く分からないが、映画の価値を多少左右するのは確かだろう。
「手厳しいな」
「素直に感想を言っただけだろ。けどまぁ、思ったより見られたのは確かだな」
 改めて窓から外を眺めると、この屋敷は庭も十二分に広いことが良く分かる。
(まぁ、東方司令部の敷地よりは狭いけど)
 咄嗟にそう思い、思ってから顔が勝手に強ばった。また、思い出してしまった。
「そういや、脚本は読んだのかよ?」
 己の罪悪感を誤魔化すよう尋ねると、ロイはあぁ、と頷いた。
「あらすじを理解する程度にはね。まぁ、つまらなくはないかな」
 その台詞から、相変わらず特に興味があるわけではない、ということだけはわかった。
「そっか」
 興味がないものは仕方がない。肩を竦めて、振り返った。ロイは自分をただ、見つめている。
「映画も見たし、オレは帰るぜ」
 その視線を振り切るようにして、彼の横を通り過ぎた。けれど、腕を掴まれてその歩みを止められた。
「……何だよ。つきあうのは映画だけって言っただろ」
「なら、映画をもう一本」
 どうやら、彼はまだエドワードを自由にする気はないらしい。
「あんた、そんなに映画が好きなのか?」
「まさか。君が映画ならつきあってくれると言ったから映画を選択しているだけだよ」
 だろうな、と思う。こんな設備があるくらいだから、ある程度の種類、フィルムも持ち合わせているのだろう。
「その映画にも、あんたが出てるのか?」
「いいや。そこまでナルシストじゃない」
 自分の出ている映画を見せておいて良く言う。思わず吹き出した。
 途端、不意に強く抱きしめられる。咄嗟のことで身体が反応できない。
「ちょ……っ」
「……君が、好きなんだ」
 その言葉は真摯と言って良かった。ただし、演技ではない、という保証はないけれど。
「……っ、オレは、好きじゃない」
 自分は未だに、彼のことを良く知らない。知ろうともしていなかった。それなのに、どうして彼は自分に恋した、などと言うのだろう。
「なら、今から私を愛せばいい」
 自分は好きだと告げ、エドワードには愛せと迫る。どうしようもなく、我が儘で傲慢な台詞。本当に、彼は今まで欲しいものを何の苦もなく手に入れてきたのだろう。
 けれど、エドワードはその台詞に素直に頷くような人間ではなかった。例え頷いたとしても、自分はきっと彼をあの男の身代わりにしてしまうだろう。それほどまでに、二人は似すぎている。
 かつて自分が、アルフォンスを弟の身代わりとしたように。もう、そんな間違いは犯したくなかった。
「お断りだっての。離せよ」
 はっきりと告げ、藻掻く。彼の力は強かったが、機械鎧の右腕には叶わない。ロイは少し、驚いた顔をしてエドワードの右肩を見ていた。おそらく抱きしめた頃にはそれが生身ではないことくらい気付いていただろう。
「……手が?」
 主語はない。けれど言いたいことは分かったから、あぁ、と頷いた。以前と違い、今は機械鎧だから長袖姿に手袋をしていると、まず一見しただけではわからないだろう。
「……左脚もか?」
 尋ねられ、目を見開いた。それも、先ほど抱きしめたときに気付いたのだろうか。
「あぁ」
 とりあえずもう一度頷くと、ロイはエドワードの左脚へと視線を固定している。気味悪く思ったのかもしれないし、哀れんでいるのかもしれない。
「普通の義肢とは違うな」
「まぁな」
 何しろ、ウィンリィ特製の機械鎧だ。この世界には本来存在しない、最高の腕と脚。今のところ、実にエドワードの身体に馴染んでいる。問題は、この世界ではウィンリィのような機械鎧技師が存在しない、ということだが、これは仕方がない。壊れたときはまた以前の義肢に戻るしかないだろう。その義肢だって、この世界に実在するものよりも、余程高度な技術を誇っている。
 顎元に手をやり、ロイは何かを考えている。やがて、口を開いた。
「確か、……機械鎧、と言う名だったか」
 その台詞に、ただ呆然とした。
(何て、言った?)
 自分は確かに聞いた。
 今、彼は。ロイは、『機械鎧』と確かに言った。この世界には存在しない、その名を。
 ロイは今この瞬間まで、エドワードの手足が片方ずつ生身ではないことなど、知らなかったはずだ。
 その事実をアメリカで知っている人間など、自分を除けば後はアルフォンスとラングくらいのはずだった。それなのに。
 それなのに、何故、彼がその名称を知っているのか。知り得るはずなど、ないというのに。
「なんで、……それを」
「先ほど、思い出したよ。随分前に夢で見た。君は機械鎧の調子が悪いと言ってたな」
「……夢……?」
 そんな馬鹿な、と本来は思うはずだろう。けれど、いつだったかアルフォンスが言ったことがある。
 アルフォンスがアメストリスにいた頃、夢を何度か見たと。その夢の中で、アルフォンスとエドワードはロケットを作っていた、と。
 それはアルフォンスの知るはずのない、けれど間違いなく現実だった。こちらの世界で、自分は確かにもう一人のアルフォンスとロケットについて勉強し、作ろうと励んでいたのだから。
 相対する世界に存在する、酷似した人間。それは別人だけれど、何かが繋がっているのかもしれない。
 互いの世界を、何かのきっかけで夢として見る。そんなことが、本当にありえるのかもしれない。
 そうだとすれば、ロイもまた、夢を通してあちらの世界を見る可能性も当然ある。あちらのロイと、たまたま自分が一緒にいる夢を見たのだとすれば。
「驚いたな……。夢の通りか」
 信じられない、とでも言いたげな眼でロイはエドワードの腕と脚を見た。
「腕は肩から、脚は膝上あたりから、で良いのかな」
「……あぁ」
 確認され、力なく頷いた。間違いない。ロイは確かに、アメストリスの、もう一人のロイの記憶を夢として見ている。
 そこまで考えて、待てよ、と思った。
(腕はともかく脚なんて滅多に見せてねぇはずだよな)
 あちらでは機械鎧の手足を持つ人間自体はあまり珍しくもなかった。けれど、普段はズボンをはいているのだからやはり見ただけでは分からないはずだ。
 それなのに、彼は機械鎧の脚を知っている。それも具体的に膝上から機械鎧だ、と言った。それはつまり、エドワードの無防備な姿を夢に見た、ということではないだろうか。
(まさか……っ)
 確かに、アメストリスのロイに対して、自分は無防備な姿を、――――早い話全裸を見せている。
 更に言うなら、とても人には言えないような醜態すらも晒している。
(あれを、見られた……?)
 もし。もしも、そのシーンを彼が夢で見たのだとしたら。
 かぁ、と顔が勝手に紅くなる。可能性だけの話だと思うのに、羞恥心で思考が染まり、いたたまれなくなった。
「オレ、帰る……っ」 
 今度こそ彼を振りほどき、走った。エドワード、と彼が読んだような気がしたが、構わず走り続ける。
 そのまま、彼の屋敷を出た。とにかく遠くへ。今はロイの顔をまともに見る自信がなかった。
 息が切れ、苦しいと思った。それでも走ることを止められない。ロイがその気になれば、すぐにでも車で追ってきてしまうだろう。
「……っ」
 だが、そのうち限界がやって来た。肩で息をし、走る変わりに歩く。
(オレは、いつ言った?)
 いつ、ロイに。アメストリスに今もいるだろうロイに、機械鎧の調子が悪い、などと言ったのだろう。懸命に思い出そうとしたが、少しも思い出せない。
 けれど機械鎧の脚をあの男に晒すとなると、どうしても回数は限られてくる。その状況も然りだ。
 出てくる結論は一つ。では、やはり彼が見たのはその時の夢だったのだろうか。
 最中ではないにしても、その前か、後か。彼はその夢を、どう思っただろう。ただの夢だと、そう思ってくれただろうか。
(んなわけ、ねぇか)
 夢の通りだ、とロイも驚いていた。当たり前だ。それまでは彼もただの夢だと思っていただけだろう。けれど、自分はそれが事実だと認めてしまった。夢の通りの手足をしているとなれば、その夢であった事柄も現実であった、と思うのは寧ろ当然のことだ。
(……皮肉なもんだな)
 そう思い苦笑した。逢いたい、と思った。何度も思った。けれど、夢ですら逢えることなどなかった。それなのに。
 あの男はどうしているのだろう。今も元気でいるのだろうか。半年前、少しでも逢えて幸福だった。それで自分は満足したはずだったのに。
 迷いはもう、ないと思っていた。未練もないと。けれど、本当にそうだろうか。
 気がつくと、涙が頬を伝っていた。みっともない、と思い、慌てて拭う。けれどそれは後から後から溢れた。
 どうしよう、と思った。



 あの男に逢いたかった。


 ただ、無性に。




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