夢寐の楽園








 三度目の訪問には、少し勇気が必要だった。促されるままに、少しだけ間取りを覚えた屋敷を歩く。
 やがて辿り着いたのは、昨日とはまた違う部屋だ。これだけ広いのだから、それは当然かもしれない。
 応接室なのだろうか。長椅子式の大きなソファが印象的だった。その場所に座るように、と言ってから、一度ロイは部屋を出て行く。数分すると戻ってきたが、その時には茶器を手にしていた。どうやら、立ち聞きする使用人はいない、と言っていたが、その使用人すらもこの部屋にいれる気はないらしい。
 紅茶を渡され、受け取る。ロイも優雅にソファへと腰を下ろした。
「君は不思議だな。半年前はミュンヘン。その前はルーマニア。その前は、ロンドン。だが、それより前になると、どこで暮らしていたのかまるで分からない」
「オレのこと、調べたのか」
「少しね」
 涼しい顔をして頷く男を殴りたい、と思った。だが、ロイにしてみれば自分は不可思議な夢の中の住人だ。それが現実に現れれば、一体どんな人間なのか、と思いもするだろう。金がある身だから、それが興味だけでは終わらなかったというわけだ。
「どこで暮らしてたのか知ってどうすんだよ」
「ただ、知りたいだけだ。君はどこであの男と知り合ったのかな。あれは私だが、私ではなかった。それに、あんな軍服は存在しない」
 明確に夢を思い出したらしい。口ぶりから察するに、どんな軍服だったかも覚えていて調べたのだろう。
「……あんたは信じないかもしれない」
「それでも良い。話を聞こう」
 真剣な眼差しを向ける男に、エドワードは頷いた。信じないかもしれない。それでも良い。この男が聞きたいと望むなら話そう、と思った。
「オレはこの世界の人間じゃない。……正確には、なかった、と今は言うべきなんだろうな」
 何から話そうかと迷いながら、とりあえずそう言った。ロイは笑い出しも、怒り出しもしない。眼差しの真剣さも変わらなかった。
「あんたは、錬金術って知ってるか?」
「黄金を作り出す研究やら、不老不死やらの妖しげな学問、という程度には」
 その返答に、軽く笑った。こちらの世界では、それは一般的と言って良い見解だ。
「オレがいた世界じゃ、錬金術が発展してた。オレは錬金術師で、あんたに似た奴も錬金術師で、そして軍人だった」
「だから『タイサ』と君は呼んでいたわけか。……随分若い大佐だな」
 もっともな感想を述べられ、また笑った。
 確かに、三十路前で大佐という地位にいる人間はそうそういない。それはこちらの世界でも同じだろう。
 話がややこしくなるだろうか、と思いながらも国家錬金術師についても説明し、それから長い、長い過去の話をした。
 ロイと出逢い、自分が国家錬金術師になったこと。父のこと。ホムンクルスのこと。そして自分がこの世界へとやって来た経緯。その後三年間、戻ろうと足掻いたこと。弟に良く似たアルフォンス・ハイデリヒと出逢い、そして彼を犠牲にしてアメストリスへと戻り、最後は自らの意志でこの世界へ再び帰ってきたことを。
 彼はじっと聞き入り、時々質問をした。一度も、笑わなかった。
「経緯はわかった。……それで、君はあちらの『ロイ・マスタング』とどんな関係だったのかな」
 やはり、それを聞くのか。顔が見られなくて俯いた。
「……夢で、見たんだろ」
 声は自然に小さくなる。顔が熱を持った。
「見たが、それが真実かどうかはわからない。君の口から聞きたい」
「オレの、後見人だった。オレは、あいつの事が気がついたら、……好きで」
 声はどんどん小さくなる。直接告白したことなど、あの男にだってなかった。
 けれど、鈍くない男だったから、エドワードの気持ちなどすぐに察したに違いない。
「きっかけは覚えてない。けど、何度か……、その、……夜を、一緒に過ごした」
 羞恥の極みだ。喉がからからに渇いた。先ほど渡された紅茶を一気に飲み干す。それはとっくに温くなっていた。
「恋人だった、というわけか」
「そんな甘い関係じゃなかった」
 けれど、それならばどう呼ぶのか、と言われたらエドワードにはわからない。恋人ではなかったように思う。だが、愛人とも違うだろう。自分は告げなかったが、あの男は何度か愛を囁きもした。
 そう言うと、呆れた様子でロイは腕を組みながら言った。
「それはやはり、一般的には恋人と呼ぶと思うが」
 そうなのだろうか。良く、分からない。あの頃の自分は、恋に溺れる暇もなかった。逢いたいと思ったし、逢えれば嬉しかった。求められれば、受け入れる性ではないけれど受け入れもした。
 自分は彼に恋していた。ただ、恋をしていた。
「だが、もう二度と逢うことはない、か」
 確認するかのように、ロイは呟く。こくりとエドワードは頷いた。
「門は閉じて、壊した。あっちも壊したと思う。やることは、ちゃんとやる奴だから」
 最後のあの瞬間。逢えてどれだけ嬉しかったことだろう。
 そんなこと、言えるはずもなかったけれど。
 ――――行け、鋼の。
 忘れない。彼は、そう言った。
 ――――そのために私は来た。
 その言葉だけで十分だと、そう思った。アルフォンスが生きていたという事実と、彼に逢えたという現実。その二つさえあれば自分は生きていける。例え一人でも。そう、思った。
 結果としてアルフォンスがこちらの世界に一緒に来てしまったが、ロイはあの世界に今もいる。伍長になってしまったそうだが、今頃大佐に返り咲いているかもしれない。
「なるほど。良く分かった」
「信じるのか?」
 普通なら、笑い飛ばすだろう話だ。荒唐無稽だと怒るかもしれない。だが、ロイは深く頷いた。
「あの夢を見た後だからね。信じたくはないが、信じざるをえない。私にとっては、どこまでも夢の世界だがね」
「そうだろうな」
 自分にとっては、この世界こそが夢だった。或いは、地獄かもしれないと思った。けれど、ロイにとっては逆だろう。あの世界は夢で、遠い世界でしかない。
「それで君は、今もあの男に恋している、というわけか」
 その問いには、すぐには答えられなかった。おそらく、聞かれるのが一番怖かった問いだ。
「……わからない」
 否。分かっている。今も自分は、彼に恋している。もう逢えない、あの男に。
「夢寐世界の住人でしかない、あの男が良いのか」
「大佐は夢の世界の住人じゃない」
 あの世界は、確かに現実だった。この世界もまた、現実であるように。だが、そう言ってもきっと目の前の男には理解できないだろう。かつて、自分がもう一人のアルフォンスにそう言われても、即座に頷けなかったように。
 今なら分かる。自分はなんと残酷な人間だったのだろう。ただ、夢の世界をたゆたうばかりだった。
「今も、生きてる。あんたが、ここで生きてるように。同じように、生きてる」
「……私は、君が好きなんだ」
 いつかと同じ台詞を、ロイは言った。どこまでも真剣な口調で。真摯な瞳で。だからエドワードは目を伏せる。
「勘違いだ。夢を見たから、そう思い込んだだけだ」
 ロイは夢を見た。その夢によって、きっと混乱したのだろう。何しろ、男と寝る夢だ。しかも、夢に出てきた男が現実に存在したのだから、ますます混乱して当然だった。そして彼はきっと、夢と現実を混同して自分に恋している、と思い込んだのだろう。
「君は、私を信じないのか」
「信じない」
 或いは、信じたくないだけなのかもしれない。この男の側にいてはいけない、という気がしてくる。
 この男は危険だ。あまりにも、彼に似すぎているから。
「なら、仕方ないな」
 ひどく、静かな声だった。
 その声には覚えがある。かつて、あの男も。もう一人のロイも、そんな声音を出すことがあった。
 無意識のうちに身体が強ばる。話すことは全て話した。だから、もう帰ろう。そう思うのに、立ち上がれない。気がつけば、身体がほとんど動かなかった。
(……何……?)
 呆然として、思わずロイの顔を見た。彼は無表情に自分を見ている。驚いた様子はなかった。
「心配しなくても、身体には害がない」
 その言葉で、疑惑が確信に変わる。何か、薬を盛られた。
「あまり、こんなことはしたくなかったんだがね」
 言って、彼は浅く微笑む。この野郎と思った。
 なにが『したくはなかった』だ。自分が薬を盛られたとすれば、それは紅茶の中に入れたとしか考えられない。だとすれば、話をする前に仕込んでおいたのだろうに。
 きっと最初から、話の内容はどうであれ、ロイの告白にエドワードが頷かないことだけは予想していたのだろう。
(後で、絶対ぶん殴る……!)
 強く、心の底からそう思った。けれど、一方でどんどん意識が混濁していく。ひたすらに眠い。
 そのままエドワードが完全に意識を失うまで、あまり時間はかからなかった。



back    novel    next