那 由 多 の 雫 3
「は?」
わざとらしく問い返す彼は、いかにも生意気ざかりの子どもらしかった。もっとも、彼が問い返すのは当然だろうと自分も思う。
突然呼び出された挙げ句に、視察を依頼したい、と言われれば問い返したくもなるだろう。
「そう、私の代わりにね。以前も頼んだことがあっただろう?」
あくまでも穏やかな口調で告げると、エドワードは腑に落ちない、と言いたげに口を開いた。
「そりゃ、あったけど。なんで、そんな突然」
「中央からの視察命令も今朝、突然来たからだよ。だが、残念ながら私にも部下にも時間がない。しかし運良く君がここにいる」
だから君に頼みたい、と告げると、彼は眉根を寄せた。いかにも嫌だ、面倒だ、とその眉間の皺が告げている。
とりあえず、彼は自分の言葉を信じたらしい。嘘も言い切ってしまえばもっともらしく聞こえるものだ。実際、中央から無茶な命令が来ることはままあることで、それを彼も知っているからだろう。
「………」
腕を組み、少しばかり思案している様子。だが、やがて小さなため息を落とした。
「期限は?」
「二週間。ただ、少しばかりここからは遠い場所だがね。悪いが、今すぐにでも向かってもらいたい」
言いながら地図を手渡す。それはかろうじて東部ではあったが、列車の乗り換えも多い、辺鄙な村に印がしてあった。
「こんな田舎の村に、どんな用があるってんだよ」
「残念ながら、こちらにも資料はまだ届いていないんだ。とりあえず向かってくれれば、到着した頃には資料が届くだろう」
件の村へ到着したら電話をくれれば、その時に改めて詳しく知らせるよ、ともっともらしく言うと、あっそう、と尚も嫌々ながら仕方なく、と言った風情で返事をよこした。
「報告もとりあえずは電話で良い。ただし、後日改めて書類を郵送すること」
そう続けると、へいへい、と面倒そうに返事をした後、に、と彼は笑った。
「この貸しは高くつくからな」
「覚えておこう」
頷き、微笑む。嘘は得意だから見抜かれない自信があった。
彼がこれから向かう村は、実際は視察命令など出ていない、ただの田舎にすぎない。だが、彼はそんなことを知らないまま、一刻も早くこの町を出ていけばそれで良い。
―――彼を、巻き込まない為に。
もし、あの手紙の主と昨日の狙撃手が同一人物だとしたら、それはエドワードにとっても危険を意味するはずだ。
例えば、偶然、誰でも良いから軍施設へと向かう人間に手紙を託しただけならそう問題ではない。だが、もしエドワードという人間を承知の上で彼へ手紙を託したのだとしたら。
……それは自分に対する威嚇か挑発としか、考えられない。
人殺し、という赤文字。普通に推測すれば、手紙の主は大事な人間をロイに殺されたのだ、と考えられる。それが事実かどうかはまだ不明だが、ともかく相手はそう思っているのだろう。
だから自分を恨んでいる。昨日の狙撃が脅しではなく、本気だとしたら、復讐が目的と思って良いはずだ。
犯人の目的が、自分の命だけならまだ良い。だが、エドワードにも危害を加えるつもりで手紙を渡した、という事態も大いにありえるだろう。
無論、全てが偶然かも知れない。だが、犯人にとっての必然だとしたら、彼は一刻も早く別の場所へと移動させるべきだった。自分は確かに人殺しで、恨みを買う覚えも十二分にある。けれど、彼がその巻き添えを食う必要はないのだから。
問題は、ただ単純に移動しろ、と言ってもエドワードが素直に頷く性格ではないことで、だから嘘の依頼をでっちあげた。
何しろ、彼は天の邪鬼気質だ。君が危険かも知れないから去れ、と理由を話したところで彼が頷くとはやはり思えない。
それどころか、当たり前の顔をしてこの場所に居残ろうとするだろう。
長旅を続け、それなりの修羅場をくぐってきた彼だから命の心配をする必要はないかもしれない。だが、無意味な危険に彼をさらす気にはなれない。それが可能性の問題にすぎなくても、事前に阻止できるのなら阻止したいと思うのは当然のことだろう。誰が好きこのんで、愛しく思う相手を危険にさらしたいと思うだろうか。それも、自分個人への私怨が原因とすれば尚更だ。
どんな理由でも良かった。彼をこの町から遠ざけ、別の場所へ行かせられるなら。視察と言ったのは、それが一番適当な理由だったからだ。
無駄足を踏ませると分かっていながら田舎へと向かわせるのは少しばかり哀れだし、事実を知れば烈火の如く怒るだろう。勿論、事実を知らせるつもりはないけれど。
彼は何も知らないままで良いのだ。だから、自分が狙撃されたことも、怪我を負ったことも彼には知らせていない。
腕の傷は軽かったし、包帯を巻いた上から軍服を着込んでいるから、よほど注意深い人間でなければロイが怪我をしていることになど気付かないだろう。
そんな余計なことをエドワードが知る必要など、何一つない。
彼はただ、彼の為に。彼と、彼の弟の為に、今という時間を生きているのだから。
「今夜、一緒に過ごせなくて残念だよ」
本心から囁くと、馬鹿野郎、と怒鳴られた。彼らしい反応が、素直に愛しく、そして嬉しい。
本当に残念なことだ。だが、未練ばかり残しても仕方がない。大人しく、いつ来るかわからない次回に期待することにしよう。
誰もいないことを良いことに、せめて抱擁を、と手を伸ばすと、そのタイミングを見計らったかのようにエドワードが自分へと手を伸ばした。
何事かと彼の指先を見れば、昨日と同じ封筒を手にしている。
「また、渡された」
ぶっきらぼうに言い放ち、押しつけるように手渡された。
「……同じ、女性だったかね?」
確認すると、あぁ、と肯定の返事が返ってくる。
(では、偶然の線は消えたな)
誰でも良いから軍部へ向かう人間に手紙を渡したいならば、単純に町を歩く軍人へと話しかけるのが通常だろう。一度くらいならたまたま軍部へ向かうエドワードに手紙を託すことも有り得るかも知れないが、二日続けてその偶然があるとはとても思えない。
だとすれば、その女とやらはエドワードの動向を見張っていたことになる。
では、間違いなくその女こそが昨日の狙撃の犯人なのだろう。または、犯人グループの一人か、協力者か。おそらく、そのどれかのはずだ。
封筒へと視線を落とし、宛名を確かめる。昨日と同じく、自分の名前がそこには記されている。裏返しても署名はない。
「何か伝言はなかったかい?」
「ねぇよ。ここへ向かう途中で呼び止められて、手紙渡してくれって言われただけ」
「そうか」
どこまでを知った上でその女はエドワードに手紙を託したのだろう。
自分とエドワードに肉体関係が存在していることを承知しているのか、それとも疑っている段階なのか。
或いは単純に、自分が目をかけている子ども、という認識なのか。
エドワードとは、何度か食事も共にしたし、当然、街中を一緒に歩くこともあった。軍人と子ども、という取り合わせはそれなりに目立つし、自分はこの界隈なら顔も知られている。少なくとも、ロイが彼を気に入っている、という事実を知るのは難しくないはずだ。
(迂闊だったな)
自分に敵が多いことを忘れていたわけではないが、エドワードを巻き込もうとする人間がいることはうっかり失念していた。
例えば最愛の者を殺された人間ならば、相手にもそれを求めたとして何ら不思議はないというのに。
彼と時間をすごす、という幸福に酔いすぎていたらしい。なんとも情けない話だと我ながら思った。
「ありがとう。確かに受け取ったよ」
微笑み、彼に礼を告げる。女の詳細な容姿などを聞きたいのは山々だが、昨日も尋ねただけに何度も聞けば聞けば彼も不審に思うだろう。彼はこの手紙を、単なる恋文としか思っていないのだから。
「じゃ、オレ行くから」
素っ気なく言われ、抱きしめることもできないまま、扉の向こうへと消える彼を見守った。
「あぁ。元気で」
彼は何も知らなくて良い。
―――そう、何も。
自分はこれから、人をまた殺めるかも知れない、ということなど。
何も、彼が知る必要はないのだ。
