ひどく何気なく、彼は言った。
知 ら な い 言 葉
「オレ、大佐のことが好きみたいだ」
その台詞に思わず動作を止める。一体突然、どうしたことだろう。いつも自分に反発する子どもらしくない台詞だった。
まじまじと見つめたが、特に彼に変わった様子はない。やや長めの金髪を三つ編みにし、黒い上下の衣服に赤いコート。すでに見慣れた『鋼の錬金術師』の姿がそこにはあった。
彼はソファに浅く腰掛け、背もたれに寄りかかっている。視線はロイを見つめていて、表情は思い詰めているわけではなく、本当に何気なく言った、という様相だった。つまり緊張感などは全く見られないままだ。
「それは嬉しいね。君には嫌われているとばかり思っていたよ」
それでも笑顔を浮かべてそう返すと、うん、と少しだけ神妙な表情を浮かべてエドワードは再び口を開いた。
「オレも、ずっとそう思ってたんだけど。けど、なんか急に、あぁ、オレあんたに恋してるんだな、って分かったからさ」
恋、という単語を聞いて更に内心驚いた。けれど、おそらく表情はそう変わらなかったはずだ。
意識していれば、ポーカーフェイスはそう下手な方でもない。……そう、意識してさえいれば。
「急に、私への恋心を自覚したわけかい?」
尋ねると、こくりと素直に彼は頷く。こんなにも正直な態度は実に珍しい。
「旅してると、やけにあんたのこと思い出すんだ。顔見たいとか声聞きたいとか思うし。すげぇ変だろ、そんなの。けど、あんたに恋してるんだ、って自覚して納得した」
実にあっさりと告げるその表情に、恥じらいは欠片もない。愛の告白を受けるのは初めてではなかったが、こんなにも自然体で告げられたのは初めてのことだった。
大抵の人間は緊張感をたっぷり持ち合わせて、頬を染めて告げることが多い。そうでなければ、自信ありげに、余裕綽々の表情で婉然と微笑み、愛を告げる者が希にいる程度だ。
だが、エドワードの場合はどちらでもなかった。まるで世間話をするかのように、彼は言葉を紡ぎ続ける。
「まさかな、って自分でも半信半疑だったんだけど、さっきあんたの顔見て確信した。オレ、あんたの事が好きなんだ」
「それで、私に告白をして君はどうしたいのかな」
「別に、どうもしないっていうか、自覚したからとりあえず伝えただけだし」
彼の態度は変わらないままだ。とても愛の告白直後とは思えない。あまりにも彼は自然体だった。
「鋼の。一応、確認したいんだが」
「何だよ?」
「それは本気と受け取って良いのかな。それとも、冗談と受け取るべきなのかな」
失礼な言葉と分かっていたが、なにしろエドワードの態度にはまるで信憑性がない。だから問わずにはいられなかった。
しかし、この問いは彼にとって心外だったらしい。頬をふくらませ、不満そうな表情を浮かべた。その表情は随分と子供じみている。
(当たり前だな)
そう、子供じみていて当然だ。まだ鋼の錬金術師は確かに子どもだった。国家錬金術師になって一年。つまり、彼はまだたった十三歳のはず。
「本気に決まってるだろ。冗談でこんなこと言うほど、酔狂じゃないぜ、オレ」
「そうか。それは悪かったね」
微笑みを浮かべ、謝罪したものの、なんとも不可思議な事態に少々戸惑う。まさか、彼に愛の告白をされる日が来るとは思いもしなかった。
けれど彼が本気だ、というからには本気なのだろう。その表情、特に瞳には嘘は見あたらないし、そんな嘘をついたところで彼には何の利益にもならない。
つまり、少なくともエドワード自身は本気だ、と認識している、ということだ。
「君は今まで、恋愛について何も語らなかったから少し意外でね。驚いてつい、失礼な質問をしてしまった」
「まぁ、オレも確かに意外なんだよな。別にオレ、男好きとじゃないと思うしさ。恋愛なんか興味なかったし。けど、気付いたらあんたに惹かれてたんだから仕方ねぇよな」
あっけらかんと語り、彼は軽くため息をついた。本当に『仕方ない』と思っている様子だ。
確かに、彼に限らず恋愛感情ばかりは自分ではどうしようもないだろう。
「気持ちは嬉しいよ。ありがとう」
言い慣れた台詞を口にすると、エドワードは小さく肩を竦めた。
「いかにも慣用句だな」
「そう言われると、返す言葉がないな」
だが、他に思い浮かぶ台詞もなかった。なにしろ、エドワードは男で、しかも相当年下だ。明らかに自分の恋人の範疇からはみ出している。恋愛を意識したことなど、皆無の相手だった。
「別に、あんたの恋人になりたいとか思ってるわけじゃなねぇし、聞き流してくれれば良いからさ。ホントにただ、自覚したから言っただけの話で」
できれば恋心を自覚した後、そのまま黙っていてくれたほうがロイとしては楽だったが、これは言っても仕方のないことだろう。エドワードの行動は実に単純明快だ。恋をした。だから、相手にその気持ちを伝えた。それだけのことだ。
(しかし、不思議な事を言うな)
普通、恋をして、更に告白した場合はその相手と恋人になりたい、と思うものではなかろうか。けれど、この子どもはそうではないらしい。
「……私を好いているのに、恋人になりたいとは思わないのかい?」
「だって無理だろ、そんなん。あんた女好きだし、オレは男だし、当然胸もねぇし。結婚できねぇし子どもも産めねぇし、ないないづくしじゃねぇか」
きっぱりと言われて、それは確かに、と苦笑した。せめてエドワードが女性であったならば、今はともかく、数年もすれば話は変わっていたかも知れない。だが、彼は男でしかなく、確かに『無理』だった。好み云々よりも以前、つまり問題外ということになる。
「まぁ例えオレが女だったとしても、どっちみちあんたの恋人になりたい、とは思わなかったろうけどな。そんな暇、ねぇし」
「多忙でも恋人がいる人間は少なくないと思うが」
深い意味もなく言うと、そうだな、とやけにあっさりとエドワードは頷く。
「けど、オレは無理。束縛とかしたくねぇしされたくねぇしさ。ただ、オレはあんたに惹かれてる。それ以上でも、以下でもないんだ」
重要なのはその事実だけだ、と彼は言う。どこか達観した笑顔で、当然のように。
「だからあんたに何かして欲しいとかも思わない」
きっぱりと、はっきりと彼は言った。あまりにも真っ直ぐな瞳をして。
「まぁ、あんたの笑顔が見たいな、くらいは思うけど、それぐらいは良いだろ」
「……それはすでに良いとか悪いという問題点ではないような気がするが」
彼は自分に恋をした、という。これが真実ならば、恋した相手の笑顔を見たい、と思うのはおそらくとても自然な欲求だ。ただし、相手が欲しい、恋人になりたい、という欲求も本来は当たり前のもので、しかし彼にはそれがないという。
(だが、鋼のはまだ子どもだからな)
おそらくは、そもそも自分への恋心自体が誤解の賜なのだろう、とロイは内心結論づける。
自分という存在は、エドワードにとってはそれなりにインパクトがあったはずだ。軍人で錬金術師。その上、初対面で彼の胸ぐらを掴んだのだから、それも当然かも知れない。
元々、思春期では友情と恋愛を勘違いすることが多いと聞く。エドワードの恋心とやらは、それの亜種だろう。あり得ない話ではなかった。
例え本気だとしても、それはあまりにも淡く幼い感情であるはずだ。大人の計算や打算などは皆無の、あまりにも純粋な感情。嫉妬や羨望などの、あまり美しいとは言えない感情とは無縁であるに違いない。
だからなのだろう。こんなにも真っ直ぐに、エドワードは自分を見つめて笑うのは。
「とにかく、あんたに迷惑はかけないからさ」
そう言うエドワードは、実年齢よりも遙かに幼く見える。きっと、性欲などもまだ希薄なのだろう。
「だから、聞かなかったことにはしないでくれよな。戯れ言だと思っても良いから、なかったことにだけはしないでくれ」
自分への恋心など一時の気の迷いだ。そう言うことは簡単だった。けれど、その真剣な眼差しを見てしまえば言うことは躊躇われる。
思いに答えなくても良い、と子どもは言う。ただ、その思いを告げ、そしてなかったことにしないでほしい、と。そんな小さな望みを本気で口にする少年に対し、それが誤りだと告げるのはあまりにも残酷だろう。
それに、今は子どもでも、そのうち彼も理解する日が来るだろう。恋心はただの誤りであったと。その感情認識は間違いだったのだ、と。
それが成長するということだ。今はただ、こんなにも真っ直ぐな少年も、いつの日か大人になっていく。
本物の恋を知り、肉欲を知り、嫉妬を覚えるのだろう。今の彼は知らない、そんな感情を、言葉を覚えて行く。
(少し、惜しい気もするが仕方のないことだな)
あまりにも彼が真っ直ぐで、そんな彼をロイは好ましく思う。
ロイがすでに失って久しい、子どもだけが持つ美しい純粋さでエドワードは輝いている。それが失われるのは残念だが、どうにもならないことだ。
「なぁ、聞いてんのか?」
答えないロイに焦れたようにエドワードは問う。幼い、真っ直ぐな子ども。
けれど、彼が子どもでいるのはいつまでなのだろう。一年か。二年か。その時、おそらく自分は少しばかりの寂寥感を味わうことになるのだろうな、となんとなく思った。それとも、彼の成長を喜んでやれるだろうか。
「あぁ、聞いているよ」
そんなことを思いながら微笑み、頷く。
「つまり、君の告白を本気として認識すればそれで君は満足、ということで良いのかな」
「そーいうことになるな」
「なら、君の望みは叶えられたよ。……本当に、それだけで良いのかね?」
その問いに、エドワードは笑った。子ども特有の、邪気のない、偽りのない笑みだ。咄嗟に眩しいと、そう思えるほどの。
「当たり前だろ。ありがとな、大佐」
無邪気で、純粋な子ども。やはり彼は恋を知らない、とロイは思う。けれど今は知らなくて良い。いつの日か、知る日はきっとくるのだろうから。
(それはおそらく、私ではないんだろうが)
そう思い、くすりと小さく笑った。なんだよ、とエドワードは問うたがなんでもないよ、と答える。彼が本当の恋を知る日まで、こうしてじゃれ合うように会話するのは悪くない。そう思った。
◇ ■ ◇
彼の姿を見かけたのは偶然だった。近々イーストシティにやって来る、と聞いてはいたが、どうやらそれが今日だったらしい。
エドワードはパンを千切り、口に放り込んでいる。いつもは側にいる弟の姿は見えない。場所は駅の目の前に存在しているカフェだ。時刻は昼と夕方も狭間。少し遅い昼食と言うところだろうか。カフェテラスで黙々と食事をしていた。
「やぁ、奇遇だね」
声をかけると、エドワードが顔を上げる。その表情は驚愕を浮かべていた。それから、少しの歓喜。けれど、慌ててその表情を顔から消すあたりがまだまだ子どもだった。
「いつイーストシティに?」
「……ついさっき」
ぼそり、といかにも仕方なさそうに答える。二年前に熱烈な告白をしてきた子どもとは思えない態度だ。だが、それも思春期だから、と思えば納得できる。素直になりきれない時期というのは誰にでもあるものだ。
けれど、その視線や態度がかえって自分への好意を伝えてくる。そっけない素振りを見せることが最近は多いが、それでもその視線は元来通り正直だった。
エドワードに思いを告げられた当時、ロイはてっきりエドワードが己の感情を誤解しているものとばかり思っていた。けれど、二年という歳月の間、エドワードを見ていればその認識が間違っていたらしいことを実感する。
この多少生意気だが素直な少年は、確かにロイに恋しているらしい。直接気持ちを告げてきたのは二年前のあの日だけだが、言外でその気持ちが変わっていないことを告げてくる。――――おそらくは、本人も無意識のまま。
「相席させてもらって良いかな。私も昼食がまだなんだ」
言いながら、彼の返事を待たずに空いている椅子に座った。
「オレ、良いって言ってないんだけど」
「細かいことを言うね。あぁ、注文をお願いしたいんだが」 前半はエドワードに、後半は通りがかったウェイトスレスに告げる。ウェイトスレスは笑って頷いてやって来た。
「今日のランチを」
「かしこまりましたぁ」
にっこり、と再度ウェイトレスは笑うと去っていく。無論、ロイも笑顔を絶やさない。その様子を呆れたようにエドワードは見ている。
「相変わらず、女好きなんだな」
「まぁね」
基本的に、男は女が好きな生き物だ。無論、例外も存在するが、それはやはり少数だからこその例外だろう。
「……」
物言いたげな視線をロイに向けたが、エドワードは結局何も言わなかった。それは初めて見る表情で、ロイは軽く目を見張る。
(随分、大人びた表情を浮かべるようになったものだな)
もっと幼い頃を知っているだけに、少し意外な気がした。
けれど、考えてみれば当たり前なのかも知れない。まだ子どもだとは思うが、幼い、という形容は本来はもう似合わない年齢だ。
彼の場合は一人前以上の収入もあり、つまり自立している。身長も僅かずつではあるが伸びている。
(当たり前だな。いつまでも子どものはずがない)
自分への態度を成長として受け入れていたのに、それ以外は以前のままだとどこかで信じていた自分に気付いて内心苦笑する。成長するのは心だけでも身体だけでもなく、全てが変化を、変貌を遂げる。
それは喜ぶべき変化だろう。けれど、もうあの日のように真っ直ぐに自分への恋情を語られないのかと思うと、少しばかり寂しい気もした。
(人間とは身勝手な生き物だな)
それとも、自分だけが身勝手なのかだろうか。そんなことを思いながら、あれこれとエドワードに話しかける。そっけないが、エドワードは質問には必ず答えた。
弟は現在、先に宿に行き、それから図書館でエドワードを待っている状態なのだという。そうしてエドワードは、といえば、朝食は本当に早朝に食べたきりで空腹で仕方なく、イーストシティに着いてようやく昼食にありついたところロイに遭遇した、ということらしい。
「こちらにはいつ顔を出してくれるのかな」
「明日行くつもりだった」
「そうか。成果はなにかあったかい?」
その問いに、エドワードはため息をついた。
「……なかったようだね」
「いつものことだけどな」
それは確かに、と思ったが、さすがに頷くことは憚られた。エドワードにしてみれば、進展がない、という現実はあまりにも重いだろう。彼はまだ良い。手足は片方ずつ欠けているが、それでも機械鎧のおかげで日常生活にあまり支障はない様子だ。だが、彼の弟はそうはいかない。進展がなければ焦って落胆して当然だった。
「お待たせしましたぁ」
暗い雰囲気に包まれたところで、ウェイトレスが料理を運んでくる。実に良いタイミングだった。
「あぁ、ありがとう」
礼を言うと、ウェイトスレスが頬を赤らめた。そうして、少しばかり拗ねたように告げる。
「最近、マスタング大佐ったら全然来てくださらなかったから、寂しかったんですよぅ」
「それは申し訳ないことをしたな。ここのところ、少々忙しくてね」
「お仕事が大変なのは仕方ないですよねぇ。でも、また来てくださいねぇ?」
その言葉に、勿論、と告げるとウェイトスレスは満足そうに微笑むと仕事に戻っていった。
「……あんた、こんなとこでもナンパするんだな」
心底呆れた、とでも言いたげにエドワードは肩を竦める。
「ナンパした記憶など、私にはないんだが」
ただウェイトスレスと会話をしただけだ。この店には以前には時々、昼食や夕食を食べに来ていたが、今はその時間がなくなったから行かなくなった。事実だけを述べれば、それだけのことだった。
「けど、あきらかにあのひとは大佐に気があるみてぇだけど?」
「さて、それは彼女に気持ちを聞いてみたことがないからわからないな」
微笑んで嘘をつく。もっとも、あのウェイトレスが自分に本気で懸想しているのか、それとも単に憧れ程度なのか、現時点ではロイにはわからない。だから完全な嘘とも言えないかもしれない。
「んじゃ、もし告白されたらつきあうのかよ?」
尋ねられて、ふむ、と一瞬考え込んだ。スタイルも顔も悪くない。気だてもだ。だが、答えは否、だった。
「今は仕事が忙しくてね。仕事優先だ」
その返答に、エドワードがあからさまに安堵の表情を浮かべる。それは無意識だったのだろう。ひどく無防備なその表情は妙に目を引いた。だが、それはやはり一瞬だけで、すぐに先ほどと同じようにその表情を消してしまう。内心でもったいないな、と思った。もう少し、あの表情を見ていたかったというのに。
普段の、少しばかり生意気なそれとも、無邪気なそれとも違う。そう考えれば、今日は随分、彼の見慣れない表情ばかり見ている。
それは何故だろう、と思ったが答えは容易に出た。ここには彼の弟も、自分の部下もいない。つまりはそういうことだろう。
(たまには、こういうのも悪くないな)
彼が未だに自分に恋心を抱いているという事実は、奇妙な満足感をロイにもたらす。彼が自分に突っかかるのも、結局は愛情の裏返しと思えば可愛いものだ。
「仕事優先の割りに、さぼってるって話を良く聞くぜ?」
「噂話はいい加減だからね。信じるに値しないよ」
笑みを口元に浮かべながら言い切って、来たばかりの皿に手を付けた。最近は本当に仕事が忙しく、軍の食堂で味気ない食事をしてばかりだったから、この店に来るのは本当に久々だ。
「……でも、あんたが女好きって噂は本当だったけどな」
食事に舌鼓を打っていると、やや小さめの声でエドワードがぼそりと呟く。
独り言と嫌味、どちらなのだろう、と思って彼の方を見たが、俯いていて表情は見えなかった。
「否定しないが、女性からも寄ってくる場合も大いにあることを考慮して欲しいな」
おどけた口調で言うと、エドワードが顔を上げる。そこにあったのは何かを諦めたかのような、静かな表情だった。皮肉気味に唇をつり上げ、言葉を紡ぐ。
「英雄色好むじゃなくて、色が英雄を好むってか?」
「そんなところかな」
実際、それは真実と言って良い。ロイが特に何かをしなくても、女性の方から自然に寄ってくる。無論、ロイとしても無碍な扱いはしないし、悪い気もしないが。
「確かに色が好んでるのも間違ってねぇんだろうけど、あんたが女好きなのも事実じゃねぇか」
どこか拗ねた口調で告げられ、もしかして、とようやく気付いた。
「なんだ、鋼の。もしかして嫉妬しているのかい?」
「だっ……!」
おそらくは、誰がするか、とでも言いたかったのだろう。だが、彼はそこで言葉を句切った。顔を真っ赤にしていて、それではいかにも『その通りです』と言わんばかりだ。
そこまで正直すぎる反応を返されるとはさすがに想像していなかったから、思わずまじまじと彼を見つめた。エドワードは耳までも赤く染めている。
「違……っ!」
やがて、ようやく否定の言葉を紡いだがもう遅い。思わず、自分の口元がほころぶのが分かった。
――――彼のその反応を、確かに喜ぶ自分が存在していた。
そのことに気づき、内心で驚く。何故、そんなことを嬉しいと思うのだろう。
「本当に?」
尋ねると、エドワードは俯く。やがて顔を上げたかと思うと、自棄気味に言い放った。
「違……わねぇかもしんねぇけどっ、仕方ねぇだろっ!」
まさか否定の言葉をこんなにも早く撤回するとは想像つかず、内心、大いに驚いたが顔には出さない。
「前は、こんなんじゃなかった。こんなつもりじゃなかった。けど、自分でもどうにもならねぇんだから仕方ねぇだろ……っ!」
「鋼の?」
名を呼ぶと、エドワードは泣きそうな表情を浮かべながらロイを見た。そのまま、無言で席を立ち上がる。
「鋼の、まだ食事は終わっていないんじゃないのかね?」
「……もう、いらねぇ。あんた一人で食ってろよ」
見慣れたトランクを持ち、そう言ってくるりと踵を返す。本気で立ち去る気らしい。勝ち気な子どもらしくなく、どこか頼りなげな風情だった。
「そうやって残すから、いつまでたっても成長しな」
「誰がいつまでも成長しないミジンコ豆かあああぁっ!」
最後まで告げる前に彼が怒鳴る。途端、いつもの彼に戻った。その落差に、思わず吹き出す。ころころと良く変わる表情。
本当に、元気で素直で真っ直ぐで、エドワードはロイが持たないものばかりを見ている。なんて鮮やかな存在なのだろう。どこにいても、きっと見つけられるほどに彼は輝いている。
(だが、嫉妬を覚えたんだな)
そう思うと、寂寥感と同時に、優越感と満足感が心を満たす。二年前、確かに彼はそんな言葉など知らなかった。
否、言葉としては知っていたが、実感などしたことがなかったに違いない。――――けれど、今は違う。彼はその言葉を知った。そして教えたのは自分ということになる。
「誰もそこまでは言っていないよ。それより、残すのは良くないと、そう教えられたんだろう?」
いつだったか聞いた話を思い出し、そう言うと、エドワードは黙り込んだ。
その教えは彼の母のものか、それとも師匠のものか。どちらかのものらしい。ちら、と自分の食器を見て、それからふてくされた表情で再び椅子へと座ると、食事を再開した。
とにかく早く食べてしまおう、と考えたらしく、黙々と、しかし手早くナイフとフォークと口を動かしている。
「君は可愛いな」
「いいいいい、いきなり何言うんだこのバカ大佐っ!」
思わず呟くと、どん、とエドワードがテーブルを叩きながら怒鳴る。とりあえず、テーブルをひっくり返すような真似をしないでくれたのは幸いだった。
「バカとはひどいな。可愛いと思ったから素直に言っただけだよ」
素直で真っ直ぐな子ども。嘘をつくことすら、満足にできない。またはしないのかも知れない。その素直さ、真っ直ぐさを微笑ましく思うし、愛しくも思った。
「……っ、あんた、オレのことからかってそんなに楽しいのか?」
「別にからかっているつもりはないよ。本気で可愛いと思ったんだ」
十五歳の少年に対しては、褒め言葉には聞こえないことを承知でそう言葉を紡いだ。それは実際問題、確かな本音だった。
けれどエドワードにとってその台詞は、お気に召さない代物だったらしい。反論することさえせず、再び食事に専念し始めた。相変わらずふてくされた様子に対して、やはり可愛いな、と思ったが、さすがに口には出さずにロイも食事を再開する。
しばらくは互いに無言だったが、やがてエドワードが食事を終えた。かちゃん、と小さな音を立ててナイフとフォークを皿の脇に置く。
「んじゃ、オレ行くから」
「随分忙しないな」
「そんなん、いつもの事だろ。それに今日はアルが図書館でオレを待ってんだよ」
ぶっきらぼうに言い放ち、再び立ち上がろうとする。思わず、咄嗟に彼の腕を掴みその動きを阻止していた。
「なんだよ?」
訝しそうに、そして少しばかり困った様子でエドワードが問う。だが、困ったのはロイも同様だった。どうして彼が立ち上がるのを止めてしまったのか自分でも、分からない。確かにエドワードの言うとおり、彼が忙しないのは『いつもの事』だった。それは自分も良く承知している。
自分が可愛い、と言ったことでエドワードは多少気分を害した様子だが、明日司令部に顔を出すのは疑う余地もない。その時に謝れば、この子供が多少文句を言いながらも最後には機嫌を直すだろうことも分かっている。それなのに、どうして彼を引き留めてしまったのだろう。
「私の食事が終わるまでは、一緒にいてくれても良いだろう? その程度の時間遅れたところで君じゃあるまいし、彼なら怒らないと思うよ」
この台詞は効果的だったらしい。実際、アルフォンスならば、偶然ロイと逢った、とエドワードが告げれば、そうなんだ、と納得して終わりだろう。少しばかりエドワードの到着が遅れたところで、怒り出すとは思えなかった。
「けど、オレと一緒にいても、別にあんたは楽しくないだろ」
言いながら、ちらりとエドワードは視線を横に向ける。
そこには、先ほどロイに話しかけてきたウェイトレスが、他の客に水を差しだしている姿があった。
「そんなことはないよ。……最近はあまり連絡も寄越さないから、これでも心配していたんだ。旅の話を少し聞かせてくれないかな」
「別に良いけど。でも別に面白い話なんかなにもねぇぜ」
「構わないよ。君の話が聞きたいんだ」
何気なく言ったが、途端エドワードがまた赤面した。
「……あんた、やっぱりオレのことからかってるだろ……っ!」
何故エドワードが怒るのか理解できず、ロイは首を傾げる。本当に単純に、純粋に彼と話したい、と思っただけだ。実際エドワードに逢うのは久しぶりだったし、どんな風に逢わない数ヶ月間を過ごしたのか知りたかっただけだというのに、何故怒るのだろうか。
「そんなつもりは毛頭ないんだが?」
真顔で言うと、エドワードはため息をついた。いかにも仕方ない、とでも言いたげだ。
「あんたって素でたらしなんだな。良く分かった。ほら、さっさと食えよ。オレも適当に旅の話するから」
結局は折れる気になってくれたらしい。その事実に満足して、殊更ゆっくりと食事を続ける。エドワードの話は確かに娯楽性は欠けていたが、彼の日々の様子が伝わってきた。――ただ一つ、気になる点を除いては。
「そんで、アルが言うんだよ。オレが悪いって」
アルは、アルが、アルに、アルを、……当たり前と言えば当たり前なのだろうが、旅の話の随所にアルフォンスの名が出てくる。それも、時には怒った口調になりながらも、結局は愛情が滲み出ていた。仲の良い兄弟だし、互いにたった一人の家族だ。大事にしていることも良く知っている。だというのに、ひどく気に障った。
「そりゃアルが言ってることは正しいってオレも思うけどさ。……なんだよ、大佐どうかしたのか?」
険しい表情でも浮かべていたのか、不思議そうにエドワードが問う。
「何でもないよ。君たちは、本当に仲が良いな」
「なに言ってんだ、今更」
その通り、本当に今更だった。出逢った頃から、彼等は確かに仲が良く、それを微笑ましくも思っていた。それなのに、どうしてこんなに気に障るのだろう。こんなことは今までなかった。
「それより、あんた具合でも悪いんじゃねぇの? さっきまで気味悪いくらい笑ってた癖に、今はすげぇ形相してたぜ?」
「気味悪いは余計だが、そうか、そんなにすごい表情だったかな」
「あぁ、なんか怖かった。けど、あんたが怒るような内容話した記憶もねぇし」
それはそうだろう。エドワードの話は他愛のない話ばかりだった。ただ、弟の話題が多かった、というだけで。
そして純粋に、その事実が気に入らなかった、つまりはそういうことだ。
先ほどのエドワードではないが、まるでロイがアルフォンスに嫉妬しているかのようだ。そう何気なく思い、次の瞬間には愕然とした。
(嫉妬?)
まさか、と思う。けれど、一笑に付すわけにはいかなかった。
「大佐?」
「……あぁ、本当に何でもないんだ。すまないね」
本気でロイの具合が悪いと思ったのか、エドワードは心配そうに自分を見つめた。大きな金色の瞳が自分だけを見つめている。いつもそうならば良いのにと咄嗟に思う自分を発見して、苦笑した。
――――――笑うしかなかった。
(そうか。そういうことか)
二年前、エドワードは恋を知ったが、当時嫉妬は知らなかった。けれど今は違う。今の彼は嫉妬を知っている。自分に恋したが故に。
(だがそれは私も同じだった、ということか)
今まで、恋は何度かしてきた。美しい女や可愛い少女たちと、まるでゲームのように恋を楽しんだ。
その中で、嫉妬もそれなりに経験した気になっていた。だが、どうやらそれは間違いだったらしい。今まで、自分は真実の意味で嫉妬などしたことがなかった。
少なくとも、今までの恋愛関係において、こんなにも理不尽に苛立ったことなど一度もなかった。
(これが嫉妬か)
納得し、もう一度苦笑する。
―――――知らなかった。こんなにも、嫉妬が苦く重く、そして強大な感情だったなどとは。
しかもその感情を、まさかこの子どもに教えられるなどとは、誰が想像するだろう。
いつの間に、と思ってみたが、それは無駄なことだ。二年前、エドワードも言っていた。
『気付いたら惹かれていた』、と。そして、『仕方ない』とも。つまりはそういうことだろう。二年という歳月は、子どもに恋するには十分な年月であったらしい。
(参ったな)
まさか、この子どもに自分が恋するなんて、思いもしなかった。今の今まで、自覚のなかった感情にただ呆然とする。どうして良いのか、本当に分からなかった。
「どうしたものかな」
思わず呟くと、エドワードが首を傾げた。
「なにがだよ?」
「とても重大な事実が発覚したんだよ。この上なく、重大な事態がね」
そう、本当に重要で重大な事実を自分はようやく知った。問題はこれからだ。彼のように、自覚したから告白を、などという単純行動は許されない。
そんなことをすればエドワードは怪しむに決まっているし、本気にするはずもない。またからかっているのかと、そう怒鳴られるのが関の山だ。
その結果が分かり切っている以上、行動は真剣に、慎重に選ばなければならないだろう。嫉妬という言葉を知った上、失恋などと言う言葉を覚える気はなかった。――――絶対にだ。
「なんでいきなり、んな重大なことが発覚すんだよ。あんた、やっぱり仕事さぼりまくってたんだろ」
どうやらロイの『重大な事実』は仕事関係のことだと思ったらしい。確かに、普通はそれが自分への恋心発覚、などとは思いもしないだろう。
「真面目に仕事しろよな。大佐の地位が泣くぜ?」
テーブルに頬杖を突き、にやりと笑いながらエドワードは告げる。悪戯っぽく笑う表情が、なんとも生き生きしている。
「忠告痛み入るよ。ところで、鋼の」
「なんだよ?」
「今回の滞在予定は何日かな」
その問いに対して、返答は実に無情だった。
「明日の夜に旅立つけど?」
もう切符もアルフォンスが取ってくれたと笑顔で告げられた。無論、そうか、と頷くわけにはいかない。
もしもこのまま別れを告げたら、早くても一ヶ月、遅ければ数ヶ月音信不通になるだろう。冗談ではなかった。
「ならばその予定はキャンセルしたまえ」
「え、何でだよっ!」
「任務があるからだよ」
口からの出任せだったが、エドワードが納得するには十分な代物だった。明日の夜になったら任務はなくなった、とでも言えば良い。上層部の気まぐれなど、珍しい話でもないから、彼はあっさりと信じるだろう。
「そんなもんがあんなら、日をずらして来りゃ良かった」
盛大に後悔する彼を見て微笑む。日をずらしたところで、結果は同じだった可能性が高いが、エドワードは知るよしもない。
「なんだよ。今度はまたにやにやしがやって。今日は百面相の日なのか?」
「そうかもしれないな。まぁ、君には負けるが。君はいつでも表情が豊かだから見ていて飽きないよ」
一番最初に出逢ったとき、エドワードは無表情な子どもだった。二度目に逢った時、実は良く表情を変える子どもなのだと知った。そうして現在、もっと色々な表情を見たいと、そう思う。
そして実際見るつもりだ。この感情に気付いたからには、エドワードのように『笑顔が見たい』程度ですませるつもりはなかった。当たり前だ。自分は当時の彼のような真っ直ぐな子どもではないのだから。
思うだけで良いと、そんな風に言い切れるほどこの感情は優しくなかった。
子どもには子どもの恋があるように、大人には大人の恋が存在している。つまりはそれだけのことだ。
二年前、彼は無理だと言った。自分も無理だと思った。けれど、今はそうは思わない。
彼は自分に恋をした。自分も、彼に恋をした。ならば、その行く末など一つしかない。その結果以外、求める気もなかった。
(鋼のも、もう大人になっても良い頃だろうしな)
「喧嘩売ってんのかよ」
「滅相もない。賞賛しているんだよ」
「嘘ばっか言うなっての。んじゃ、オレそろそろ行くな。もう大佐も食い終わっただろ?」
言いながら、返事を待たずにエドワードは立ち上がる。そんなにアルフォンスの元に行きたいのか、と思うと、仲の良い兄弟と知っていてもやはり心地は良くなかった。
自分に恋していながら、彼はいつでも、弟のことばかりを考えている。仕方ない部分もあるが、自分と逢っているときくらい、自分を見てくれても良いはずだ。
それならば、自分のことを考えずにはいられないように仕向けてやれば良いだけだ。それは実に、簡単なことだった。
「鋼の、顔にゴミがついているぞ」
「え、マジ?」
歩き出そうとしたエドワードを呼び止め、告げると彼は慌てた様子で顔を掌で払った。
「じっとして」
「え」
屈み込むと、彼の顔が目前に迫った。本当はそこで思わせぶりに微笑んだら終わるつもりだったのに、呆然としている彼の表情があまりにも無防備で、付け入らずにはいられなくなった。
条件反射的に顔を傾けると、自分の唇とエドワードのそれが重なる。
「〜っ!」
一瞬後には、どん、と両手で身体を押された。見ればエドワードは顔を真っ赤にして、掌で口元を押さえている。
「やっぱりからかってんじゃねぇかっ!」
今にも泣きそうな表情を浮かべられ、咄嗟に口が動かなかった。そんな表情をさせるつもりはなかった。ただ、あまりにも彼が無防備だったから、衝動的に唇を重ねてしまっただけだ。……彼にしてみれば、『だけ』と言ってもおそらく理解できないだろうが。
そのまま、エドワードは振り返ることもなく走り出す。それを止めることすら忘れていた。
とりあえず、これで彼は当分、自分のことばかりを考えるのは間違いない。つまり一応目標は達成されたことになる。だが、それで良いと満足する気にはなれなかった。
いくら色々な表情を見たいと思ったとはいえ、あんなにも哀しげな表情を浮かべさせたままにすることなどできない。
急いで会計を済ませながら、この時間帯は人が少ないのは幸いだったな、とどこか悠長に思った。先ほどの場面などは、さすがに人に見られたいとは思わない。部下あたりが見ていたら、上司の面目などあったものではなかった。
恋愛に右往左往している自分の姿など、見せられたものではない。部下も見たくはないだろう。
(まったく、恋愛がこんなに難儀するものだとはな)
もしかしたら、自分は恋そのものすら知らなかったのかもしれないと、そんなことを思う。
嫉妬を含めて、こんなにも強い感情の嵐を自分は知らない。だとすれば、今まで自分が体験してきたのは、疑似恋愛に過ぎなかったということになる。
ならば、これは初恋だろうか。そう思うと、ひどくおかしかった。だが、今は笑っている暇はない。
初恋は叶わないと聞くが、例外は存在するはずだ。そして無論、ロイはその例外に属するつもりだった。
エドワードの行き場所は知っている。脚は特別遅くない方だから、追いつくことは可能だろう。否、追いついてみせる。
あの子どもが自分は欲しい。そしてできるなら、あんな表情はもう浮かべさせたくなかった。だから、ロイは駆け出す。
――――近い将来に己の恋人となる子どもに、追いつくために。
END
