Spiege lim Spiegel 



※R18







 その言葉に、彼を思わず睨み付けた。彼は相変わらず微笑む。微笑み続ける。ひどく優しく、まるでエドワードを哀れむように。
 ――――諦めると良い。
 主語はない。それは抵抗を、という意味なのか、それとも元の世界に戻ることを、という意味なのか。両方かもしれない。
「誰、が」
 うまく言葉が出ない。声が掠れる。完全に、今の自分は彼に飲まれていた。それでも、必死で言葉を紡ぐ。
「誰が、諦めるもんか……!」
 諦められるはずがない。どんなに無謀でも。それでも、自分は帰りたい。だから、帰る。
「君のその、意志の強い瞳は好きだよ。めちゃくちゃに泣かせたくなる程にね」
左手に彼の体重がかけられて少しも動かせなくなる。すう、とロイは目を細めた。相変わらず口元には笑みを浮かべている。
「君の怯えの表情も悪くない」
「怯えてなんか……っ!」
 もう、慣れきった行為だ。彼とは本当に、何度も何度も身体を重ねた。怯える理由などない。そう思うのに、反論の声はどこか弱い。
 ロイの手がいつも通り、器用にエドワードの衣服を剥いでいく。それを邪魔しようと闇雲に首を振り、嫌がる素振りを見せる。足をばたつかせた。
 さすがに苛ついたのだろう。不意に左手が自由になったと思った途端、ロイがエドワードのシャツを力任せに左右へと引っ張った。当然のように釦が弾け飛ひ、びり、と大仰な布の裂かれた音が響いた。
「あまり暴れるようなら、義足も壊れることになるよ」
 あからさまな脅迫。それも、本気なのだと容易に分かる。彼は冗談ではなく、本気でそれくらいするだろう。何しろ、義手を躊躇わず川に捨てるような男だ。
「卑怯者!」
「何とでも言いたまえ。手段を選んでいたら、君は手に入らない」
 微笑みを浮かべているのに、その言葉はどこか沈痛そうな響きがあった。
 なにか言わなければ、とエドワードは言葉を探す。彼がやめる気になるような、そんな言葉はないだろうか。だが、そんな都合の良い言葉などそう簡単に見つかるはずがなかった。
「……だいたいっ、この国は同性愛は法律で禁止されてんじゃねーのかよ……っ」
 今更法律だのモラルだの、常識だのと言っても無駄だろうと知りつつ言うと、彼は何の感銘も受けない様子で言葉を返す。
「今更だな。禁止されているからと言って全て守れるほど、私は偽善者じゃない。それに私は同性だから君を抱くわけでもない。欲しいのが君だから抱くだけだ」
 強引にエドワードを全裸にすると、慣れた手つきでロイの掌がエドワードの肌を滑る。どこをどう触れればエドワードが感じるのか、その手はあまりにも良く知り尽くしていた。嫌だと思うのに、勝手に息が上がる。
「嫌だ」
 それはすでに呟きにしかならなかった。左手だけが弱い抵抗を繰り返す。けれど、彼の身を押し返そうといくら手を突っ張ってみてもどうにもならなかった。
「……やだ、嫌だ……っ」
 気がつくと涙が頬を伝っていた。
「そんなに、嫌か」
「……ゃ、だ……!」
 尋ねられ、頷く。ロイが涙を舌で拭った。けれど、彼の掌の動きは止まらない。エドワードの熱を高めるためにそれは蠢き、身体が震える。自分の身体が、どうしようもなく厭わしかった。
「――――、やめ……っ」
 右足を掴まれたかと思うと、強引な力で無理矢理両足を大きく広げさせられた。無骨な指がエドワードの秘部へと入り込み、ぐるりと掻き回す。
「……痛、――っ」
 快楽はなかった。異物感と痛みばかりを感じる。
 それでも、その行為に慣れた身体が徐々に指を受け入れはじめる。そこにエドワードの意志など関係なかった。
 そのうち、物足りなさや疼きさえ覚えはじめる。嫌だ、と今も思っているはずなのに。――それなのに、身体が勝手にロイを求めた。
「君の身体はこんなに素直に、私を求めてくれると言うのに」
 項から耳たぶをなぞるように舐め上げてから、ロイがそう囁いた。
「違う」
 否定したが、それは嘘だと自分でも知っている。
 やがて指が抜かれ、腰を持ち上げられた。獣の体制と取らされたかと思うと彼が自分の内部へと押し入ってくる。
「や、――ゃ、……や、だ……!」
 それは悲鳴なのか、嬌声なのか自分でも判別のしがたい声音だった。狭い内部が、ロイに占領される。埋め尽くされる。息すらできない。
「ひ、ぁ、……っ、ぁ、あ……っ」
 ゆっくりと彼が動き始め、がくがくと足が震えた。自分で自分が支えきれない。手が滑り、胸はシーツに沈んだ。臀部だけが彼によって抱え上げられる恰好になる。深い結合は快楽と苦痛の両方を呼んだ。
 せめて痛みだけなら良いのに、とエドワードは思う。快楽は怖い。快楽は、どうしようもなく自分を堕とす。痛みなら、我慢することができるのに。
「……私の、ものだ」
 背中の方から聞こえるロイの声に、頭を振った。
(違う。オレは、オレのもんだ)
 そんなエドワードの態度を罰するように、彼が深い場所へと性急な動きで入り込み、蠢く。
「や、あ、ァ……ぁ……っ、やぁ、……ン……っ」
 左手が無意識のうちにシーツを掴んだ。彼の動きにひたすら翻弄される。
意識が朦朧としかけたころ、彼が自分の分身へと触れた。今まで触れられていなかったその場所はすでに濡れ、形をとうに成している。
「いつも思うが」
 言いながら、彼はエドワードの分身の根本を軽く握る。もう少しで果てそうだった身体に、それはひどく辛い仕打ちだった。
「……ゃ、……!」
「君は淫乱だな」
 くすりとロイは笑った。エドワードには返す言葉もない。性器ではない場所を性器のように扱われ、挙げ句に身体は悦んでいるのだから、確かに淫乱と言われても無理なかった。
「……?」
 そのまま一度、彼が引き抜かれる。もしかしてこのまま終わる気かとも思ったが、体制を変えて再び両足を大きく開かされ、彼を受け入れさせられた。
「あ、あぁ、――んン、……っ」
 すでにロイの味を覚えた身体はその動きも愉悦としかすでに受け止めない。ただ、涙だけが頬を伝った。
 深く押し入ったかと思うと、浅い場所を突く。そうかと思うとまた深い場所を抉られた。
「んっ、……ぁ、ン……っ、ゃ、――っ」
「エド。エドワード。私を見なさい」
 まるで乞うようにロイが言う。涙が滲んだ瞳では、そう言われても彼をまともに見ることなどできない。
「私を、見なさい」
 どこか切実そうな響きのある、その声音。ぼやけた視線を声の方向へ向けると、唇が重なり、舌が絡まる。もう、されるがままだった。
 そのあとはほとんど記憶がない。散々喘いで泣いて、彼に貫かれて何度も達した。快楽と愉悦の波に溺れた。
 ――――そうして。ようやくエドワードが正気を取り戻した頃、ロイの姿はその部屋になかった。大方、シャワーでも浴びに行ったのだろう。
「……っ」
 身じろぐだけで、自分の身体の奥から彼の体液が流れ出てくる。その感触に眉をひそめた。
 左手で乱れた前髪を掻き上げ、深いため息をつく。
(何やってんだ、オレ)
 結局、自分は快楽に流された。いつも通りに。このままでは、これからも今日の繰り返しになってしまうだろう。
 そんなことを考えながらなるべくゆっくりと半身を起こし、鏡を見た。
「ひでぇ顔」
 呟き、苦笑する。涙の跡の残る、その顔。快楽に酔った名残が今も残っている。まるで自分は男娼だ。今も、昔も。
 そっと鏡に触れる。鏡の中の自分が同じ動作をした。
「……ホントに、どうしたら戻れるってんだよ……」
 鏡の外の世界。自分の居場所。懐かしい、あの国。
 ――――逢いたい。弟に。あの男に。みんなに。
 この世界のロイに、情が移っていないと言えば嘘になる。おそらく、彼は真剣なのだろうと今は思う。だから、心が揺れそうになる。彼の気まぐれなのだと、そう思いたかったけれど。
 だが、それでも自分はこの世界に留まることを選べない。
 どんなに彼が望んでも。自分が例え、彼に恋しても。それでも、自分が自分である限り戻る方法を探すだろう。
 鏡を撫でても、なにも変わらない。鏡の中の世界で、鏡を見つめる。それしかできない自分は不様で、そして滑稽に違いない。
(それでも、帰るんだ)
 今は腕がない。それなら、また作れば良い。ロイはまた作ると言っていたが、自分でも別途用意しておいた方が良いだろう。ジャンの店の電話番号はもう覚えた。彼はロイと仲が良いようだから、あるいは別の店に依頼した方が良いかもしれない。
 どんな方法でも良い。とにかく、ここには留まれない。留まってはいけない。前に進みたい。どうしても。どんな思いをしても。
 だから探そう。どんなに先が見えなくても。可能性をひたすらに信じて。――そう、かつて賢者の石を探したあの日々のように。
 今は自分しかいないけれど。今の自分は、とても弱いけれど。それでも前に進もう。
 鏡に映る自分は何も言わない。だが、瞳には意志の力が残っている。
 だから、大丈夫。まだ、自分は歩ける。探せる。自分は、自分に負けたりしない。
 こつん、と額を鏡にぶつける。待っていろ、と呟いた。
 瞼を閉じ、息を吐いた。鏡の中、自分は足掻くだろう。いつまでも。いくらでも。今はそれしかできない。それでも良い。何もできないよりは、ずっと良い。
 
 再び瞼を開き、鏡を見つめる。



 ――――鏡の中の自分は、確かに笑っていた。
 

 そしてエドワードは鏡に背を向けると痛みと怠さを耐えて立ち上がり、歩き出す。

 
 


 鏡世界に別れを告げる、その日の為に。





END