空の在処3
燎一が待ち合わせ場所に到着したのは、約束の時間の五分前だった。
「全ての無駄」を嫌う父親の影響か、それともかずえの教育のたまものか、基本的に燎一は時間厳守を常としている。
待ち合わせ場所が霊園の最寄り駅では将はわかりにくかったろうかと思いながら、ちら、と腕時計を見て時間を確かめると、周囲を見回しし、彼が目の届く範囲内に存在しないことを確認する。それなら、と目の前にある花屋へと歩を進めた。
かずえの墓参りのたびに使用しているその花屋は、近くに霊園があるせいか、華やかな一般的にある花屋のそれより、些か地味目の花の方が豊富に取りそろえてある。一般的に菊以外墓に添える花を燎一は知らないが、故人の趣味に合わせてそれぞれの花を選ぶのかも知れない。
そんなことを思いながら、けれど燎一はありふれた菊を選んだ。彼女が好きだった花を知らない訳ではないが、彼女なら何の花でも喜ぶに違いない。
―――もったいのうございます。
そう、彼女が言ったのはいくつの時だっただろうか。
母の日に、けれど母は存在しないに等しかった自分は彼女にカーネーションの花を贈った。幼い頃だから、一輪だけの実にささやかなものだ。
深い考えがあったはずもなく、ただ彼女の喜ぶ顔が見たかったし、それから自己満足もあったように思う。けれど、彼女はそう言って涙を流した。
遠い記憶の、けれど忘れられない記憶。彼女と共有していた記憶は、数えきれないほど存在する。その一つ一つがひたすらに優しく、だから思い出すたびに感傷的な気分になる。
花束を受け取り、それから花屋には不似合いなことにおまけとして線香とマッチを渡された。至れり尽くせり、というところだが、これも場所の関係上仕方のないことなのかも知れない。
苦笑を内心浮かべながら店の外へ出ると、先ほどは存在しなかった彼の姿があった。当たり前のように視線が重なり、彼がにこり、といつものように微笑む。
そうして、自分の方へと走り寄ってきた。
「天城、来てたんだ」
「まぁな」
言いながら時計を見ると待ち合わせ時間一分前。どうやら彼も時間を守るタイプの人間らしい。
「こっちだ」
言いながら、二人で歩き出す。
「……」
「……」
暫しの間、無言でただ歩を進めた。けれど、不意に将が口を開く。
「荷物とか、…もう用意終わった?」
「ついさっきな」
「…そう」
どこか寂しそうに、彼は微笑む。そのせいか、燎一はちくりと胸が痛むのを実感する。
―――多分、自分は彼に恋している。
ありえないはずの事実を、けれど燎一は思いの外、冷静に受け止めていた。
最初から、目が離せなかった。それは多分、そう言うことなのだ。
だから、余計に自分は悩んだのかも知れないと思う。
ドイツに行けば、彼に会うことはできない。
あまりにも、当然すぎる事実。
それでも、自分はドイツ行きを選んだ。彼もそれを多少ためらいながらも推奨した。
その決断に、自分も後悔するつもりはない。けれど、どこか後ろ髪引かれる気持ちがするのもやはり事実だ。
「ドイツって飛行機で何時間くらい?」
「さぁな」
そうして、また沈黙が続いた。答えることは可能だったが、それは将との距離を再確認するだけだ。それなのに答える気にはなれなかった。
そのまま黙々と歩くと、やがて目的地に到着する。そうして、いつものように水桶に水を酌み、柄杓を借りた。何度も来ているから、同じような墓石の中でも特に迷うこともない。
「……」
真新しい墓を、将はただ見つめた。
いつの間に買ったのか、それはかずえが生前から用意していたとの事だった。何度目かの入院の時に彼女は自分の命の長さを悟ったのだろうか。
花を生け、線香に火をつける。やはり、お互い無言だった。
「…ありがとう」
無言のまま、煙を燻らせる線香を数本渡すと、将は小さく微笑みながら礼を言う。それから、ふと困ったように口を開いた。
「……あの、ぼく、作法とか、…良く分からないんだけど」
成る程、確かに中学生がそんなにまめに墓参りをするとも思えない。燎一だって、かずえの墓だからこそ来るものの、これが他の人間の墓だったら自発的にそう何度も来ないに違いない。
もっとも、線香を供えて祈るだけの行為は、作法、と言うほどのものとはとても思えないが。
「かずえのことだ、作法そのものより気持ちが云々と言うだろうから気にしなくて良いぞ」
「でも、失礼じゃないかな?」
「かずえに関しては気にしなくて良い」
儀礼的ではあっても、形式だけのそれを彼女が喜ぶとは思えない。不作法でも、将の気持ちが伝わればその方が良いに違いない。
言いたいことが伝わったのか、じゃぁ、と将は素直に頷くと、少々ぎこちない素振りで線香を供え、手を合わせてから目を閉じる。
何を思っているのか、それは決して短くない時間だったが、やがて場所を譲るように将が墓石の正面から離れた。
「……」
そうして、燎一は当たり前にそっと心の中で彼女に報告をする。
次にいつこの場所に来るのか、検討もつかない。けれど、彼女がそれを責めることはないだろう。いってらっしゃいませ、と微笑む彼女が見えるようだった。
今度この場所に来る時、自分は成長しているだろうか。 そんなことを思いながら、墓石に視線を戻し、それから供えた線香の煙をぼんやりと見つめた。
「…煙って」
そんな自分をどう思ったのか、将がそっと口を開く。
「空に行くんだよね」
彼の言いたいことが分からないまま彼を見ると、彼は空を仰いでいた。
「ぼく、小さい頃、そう教わったよ」
何かを思い出すようにして将は言う。
「誰のお墓参りだったのか、覚えてないけど。…すごい小さい頃、家族で行って。功兄…兄貴がね、言ったんだ」
懐かしそうに微笑みを浮かべて。どこか、寂しそうに。
「煙は、空に上がって、雲になるんだよ、って」
それが嘘なのは、中学生になれば嫌でも分かることだ。けれど、ぼんやりと伝えたいことが分かった気がした。
「骨を燃やしても、煙になって雲になるから。ぼくたちの思いも、煙にして空に届けるんだって」
おそらく、それは将の両親の墓参りだったのだろう、と燎一は思う。何も知らない将に、彼の兄はそれでも言わずにいられなかったのかも知れない。確かに、思いはあるのだと。届くのだ、と。
「空で、雲になってずっと見守ってくれてるから、お礼を言うためにこうするんだよ、って」
それはおとぎ話に等しい。優しくて、都合の良い物語。
確かに、それが事実であるならば、ひたすらにかずえは燎一を見守っているのだろう。昔のように、今もずっと。ただ、現実に、目の前に彼女がいないというだけで。
おそらく、そうなのだろう、と燎一は思う。彼女のことだ、例え天国とやらが存在していても、自分を心配して、地上で見守り続けそうな気がする。
それを嬉しいと思うべきなのか、情けないと思うべきなのかは分からないが。
…けれど。
―――見守って、くれている。
「…そうだな」
一体何に、自分は同意したのか。自分でも分からないまま、そう言った。
そうして、空を見上げる。
青い空は、やはり青いままだ。白い雲も。
―――その、どこかに彼女はいるのだろうか。
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