空の在処5


 いくら考えてみても、けれど決定的な答えなど出るはずがなかった。
 どんな返事をしてみても、自分はもうすぐこの国を立つのだ。この国を離れる、その決断をけれど燎一は後悔する事などできない。
 だから一層、何を言って良いのかわからないのだ。けれど、わからないからと言って無言のままでは、将も困惑するだけだろう。それで、不意に思いついたことを言葉にした。
「俺は、多分」
 突然口を開いた燎一を、将はひどく驚いた顔をして見上げた。
「お前を羨んでいたんだろうな」
「…天城が、ぼくを?」
 信じられない、と将は呟く。
 その素直さを、多分自分は羨んでいた。何に対しても、誰に対しても、まっすぐで、前向きな彼を。
「何で? ぼくのほうが、ずっとずっと、天城の事羨ましいって、思ってた。…ずっと、追いつきたくて、…」
 不思議そうに、彼は問う。確かに、それはそうなのだろう。例えば、サッカーの技量は、冷静な目で見れば、多分まだ自分の方が上だ。
 けれど、それは全体的に見て、というだけの話しだし、彼の上達ぶりはきっと誰もが認める所だろう。
「羨んで、それと同じくらい惹かれた」
「……え?」
 燎一の台詞にきょとん、として、そのまま見上げる。その後は、ひたすらにお互い沈黙だった。
 おそらく、将も先程の自分のように半ばパニックに鳴っているに違いない。彼を見ると、実に楽しい表情変化だった。
「…あの、天城」
 そうして、おそるおそる、と言う様子で口を開く。
「何だ?」
「ごめん、あの…、それ、どういう意味か、確認しても良いかな。自分に都合良く考えそうなんだ」
 顔を赤らめながら、そう言われ、なるべく無表情を作りながら返答した。
「都合良く考えた方が、正解だろうな」
「……え、だって、…それって」
 それから、また沈黙。お互い、照れくさくて何も言えなくなった。ただ、ひたすらに歩く。先程とは違う沈黙のままに。
 否、照れくささだけではないのだろう。多分、自分たちは確かにいわゆる「両思い」だけれど。だからといって、明日の別離は現実のままだ。この告白が、少しくらい早まったとしても、自分の決断は変わらなかった。
 彼もまた、恋愛成就を理由に留学の取りやめなど、望まないだろう。けれど、お互い、何も知らなかった頃のように単純に別れを告げる事はできなくなってしまった。
「…でも、会えなくなる訳じゃ、ないから」
 台詞としては唐突に。けれど、確かにお互い同じ事を話していたのだということを将はその言葉で示した。
「そうだな。電話も手紙もあるしな」
「…時差ってどれくらいかな?」
 そんな会話を、当たり前に続ける。それは、少し前を考えれば奇跡に等しい。
(かずえが、知ったら)
 ふと、思う。
 彼女が知ったら喜んでくれるだろうか。
 それはそれは、ようございました、と。そんな風に。
(思うに、決まっているか)
 彼女は、ひたすらに自分の幸福だけを願って逝った。それは、決して思い上がりではないはずだ。
 まぁ、多少は自分の子供が見たかったとかなんとか、言いそうではあるが。それに関しては、あきらめてもらうしかないかもしれない、等と思い、くすりと笑った。
「…何? ぼく、変なこと言ったかな?」
「いや」
 否定して、ただ空を見る。この空の中から、今彼女は自分を見ているだろうか。
「…かずえさん、どう思うかな」
 自分の考えている事に見当をつけたのか、将がそう言う。
「…案外、のほほんと喜ぶかもな」
「……そうだと、良いな」
 それから、ふと気が付いたように言った。
「考えてみれば、空は、繋がってるんだね。日本も、ドイツも」
 そして、彼は笑う。まるで発見でもしたかのように。
「そう考えれば、遠くないよね」
「……そうかもな」
 ひどく、ロマンチストのような事を言う。もっとも彼にその気質が有るかどうかは謎だから、単純に思いついただけなのだろう。離ればなれになっても、寂しくはないと。そう、言い聞かせるために。
 世界中、どこにでも空は有る。―――確かに、繋がっている。
「実際、特別遠い訳じゃない。飛行機に乗ればすぐだ」
 それは少しだけ、嘘だったけれど、将も多分事実を知りつつも頷いた。
「うん。…わかってる」
 どこか、泣きそうな顔で。けれど、笑顔を浮かべる。笑顔のまま、燎一を呼んだ。
「天城」
「何だ?」
 笑顔のまま、彼の唇が動いた。
「…行って、らっしゃい」
「………あぁ」
 それは別れの台詞に違いなかったけれど、再開を誓う言葉でもあった。確かな、現実としての。
「行って来る」
 だから、自分も笑顔を作った。多分、それは成功したと思う。
「明日、見送り行くね」
「別に必要ない」
「それでも、絶対に行く」 
 そこで彼が案外強情であった事実を思い出し、方を竦めた。そして、今度こそ素直に笑う。
 何もかもが、彼らしい、と思った。
「風祭」
「何?」
 そうして、今度は自分が彼の名を呼ぶと、彼はすぐに返事をした。いつものように、自分を見上げて。その高さに合わせて屈み、そっと彼の唇に自分のそれを重ねた。
「………っ!」
「…餞別に貰っておく」
 我ながら、気障だな、と思いながら言うと、将は瞬く間に真っ赤に顔を染め上げた。
「な、て、…っ」
 将は口を動かすが、それは言葉にも、単語にもならなかった。
 その様子が愛しくて、おかしくて、ついつい笑ってしまう。
「笑う事ないじゃないかっ」
 尚も顔を赤くしたまま将が言ったが、笑いを納める事はできなかった。
 愛しくて、おかしくて、幸せで。
 けれど、―――幸せなのに、泣きたくなるのは何故だろう。
つかの間思い、しかし答えらしきものは直ぐに出た。
 自分は、かずえが逝った時泣かなかった。泣けなかった。
 それは、多分。
 ――――――幸せな時に、泣くためなのだ、と。
「…天城?」
「……笑いすぎで、涙が出た」
 流れるほどの涙ではなかったから、そう誤魔化すと、将はむくれてみせる。
「天城、意地悪だ」
 …多分、きっと。
 彼は気が付いている。けれど、気が付かないフリをしてくれている。
 どこまでも他人を気にする彼らしい対応だった。そうして、彼は何事もなかったように、あたりさわりのない話題をふってくる。それに適当に答え、二人、ゆっくりと、けれど確実に歩き続けた。
 やがて、次の駅が見えた頃、将がそれに気が付いたのだろう。
 それまで良く動いていたた口を噤んだ。
「……」
 ゆっくりでも、歩けば到着する。当然の事だった。さすがにお互い、自宅まで歩けるほどあの霊園は近くなく、一駅二駅歩いた所で事情は同じだった。
 空を見上げれば、すでに赤く染まり始めている。そろそろ頃合い、という奴に違いなかった。
 仕方なく、お互いに黙って駅へと歩を進め、当たり前に到着した。
「……じゃぁな」
「うん。…また、明日」
 にこり。再び、泣きそうな笑顔で手を振りながら言うと、振り返らずに燎一とは反対側のホームへと歩き出す。
 その様子を、ただ燎一は目で追った。視界から彼が完全に消えるまで。
 それは、―――これから、お互いにそれぞれの道を歩く。その事実の象徴のような気がした。
 けれど、そこから始まるのだ、と思う。
 彼はもっともっと上手くなる。自分も、もっともっと、上を目指す。
――――――どうか、お幸せにおなり下さい。
(…勿論だ)
 あの時、答えられなかった台詞を、そっと心の中で呟いた。
 そのために、自分は。―――否、自分たちは歩き出すのだ。
 別々の道を。いつか重なるだろう、確かな未来のために。


 小さく、息を吐く。

 
そうして、燎一は歩き始めた。


 ただ、前を見つめて。


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