赫焉の茨
1
それを人は偶然、または運命と呼ぶのだろう。
「やぁ、鋼の」
にこり、と。いつも通り、としか言いようのない、優しげで、余裕ありげな笑顔を見た瞬間、思わず顔をしかめた。
何故こんな場所で彼と会うのか、と半ば呆然としつつ、口を開く。
「……なんでこんなとこにいんだよ、大佐」
「あれ、大佐。偶然ですね」
声は弟と同時だった。アルフォンスは礼儀正しくぺこりと頭を下げる。
「久しぶりだね、二人とも」
浮かべる微笑は実に穏やかで、爽やかと言える。響く声は低く、耳に心地良い。だからだろう。自分たちの周囲にいる女性達は確実にロイへと視線を注いでいた。それもかなり、相当、好意的な視線だ。
(……)
そう思った途端、苛々とする自分を認識して、ため息をつきたくなる。あまり認めたくない現実だ。そしてロイがそんな現実をつきつけるから、ついつい顔をしかめてしまうし、つっけんどんな態度になる。
だから、ぷい、と顔を背けてしまうのも仕方のないことだ、とエドワートしては思う。
「お仕事ですか?」
「微妙だな。一応、プライベートということになるが」
アルフォンスの問いに、微苦笑を浮かべつつロイが答える。
「微妙、なんですか?」
「微妙なんだ。……目の前に座っても?」
更に不思議そうにアルフォンスが尋ね、ロイは頷いてから逆に問うてきた。
「断る」
「勿論、どうぞ」
今度も声は同時だった。内容は正反対だったが、ロイはアルフォンスの返事を選択し、空席だった自分たちと向かい側の席へと腰を下ろした。
現在、自分たちは列車に乗り、揺られている真っ最中だ。旅を続けていると、どうしても列車の使用頻度が高い。だから、自分たちが列車に揺られるのは日常茶飯事ということになる。
だが、ロイは基本的に東方司令部におり、あまり列車には乗らないはずだ。乗るにしても中央行きなどの主要な路線を利用するのが常だろう。そして今、自分たちが乗っている列車は主要とはとうてい言い難い。そんな列車に、どうして彼が乗っている、と言うのか。
「昨夜は会議で、中央に呼び出されてね。」
穏やかな口調で、ロイは説明を始める。それは次の通りだった。
参加必須の会議のため、リザと二人で中央へと向かった。会議自体は無事に終わったが、会議終了後、とある少将にに声をかけられた、のだそうだ。
「赫姫に是非、逢いたまえ、と言われたんだよ。それで、逢いに行くことになってこの列車に乗り込んだ、というわけだ」
「……赫姫?」
「通称だそうだ。燃えるような赤い髪に、赤い瞳の持ち主で、白い肌の大層な美女だと熱心に言っていたな」
大層な美女、と言っている時の笑顔が、ものすごくむかつくのは何故なのだろう。その理由は想像ついたが、それがまた気に入らない。
「ちなみに赤い瞳と言っても、イシュヴァールの民とはまた違う色だそうだが、それはともかく」
その少将はそれはそれは熱心に、『赫姫』に逢うようにロイに言った。
なんでも、その『赫姫』がロイに興味を示したのだそうだ。断ろうとしたが断り切れず、随分強引にすぐに逢いに行くように、と事実上命令された。だが、それは任務とは無関係だから、プライベートということになる。
しかしロイにしてみればそれはどこまでも命令の結果だから、純粋なプライベートと呼ぶには抵抗がある、というわけだ。
「仕事もあるし、相手がいくら美女とはいえ、あまり気は進まなかったんだがね」
「ふーん?」
疑う口調になってしまうのは仕方がない。ロイ・マスタングという男は東部で有名な女たらしだ。数多くの男から嫉妬と怨恨の対象になっていると聞く。そんな男が、『大層な美女』と逢うのに気が進まない、という事態はあり得るのだろうか。
「本当だよ。今は結構書類が溜まっていて、本当は休暇を取る余裕など皆無なんだ」
肩をすくめて言うが、どこまで本当なのだろう。この男は多忙な時期でも気がつけば姿を眩ませている、という話を彼の部下から何度も聞いている。
「へー。休暇ねぇ。良いご身分だな」
嫌味口調で言ったが、ロイは気にする様子もない。微笑みを相変わらず浮かべている。
「それなりに遠い街だからね。日帰りは不可能なんだ。中尉も渋々ながら理解を示してくれたよ」
「あっそ。で、その赫姫ってのは何者なんだ?」
問いつつも、もしかして、と思う。自分と弟がこれから訪ねる予定の人物も、赤い瞳に赤い髪の女性だと聞いている。もしかして、同一人物なのだろうか。だとしたら、とてんでもない確率の偶然だ。
偶然、ローカルな列車の中で知り合いと逢い、しかもお互いに一人の人物に逢いに行く途中だった、など。
「予言者だそうだ。正確には、過去と未来が見えるという話だが」
「……そんで、特に過去見が得意なんだ?」
確認するように問うと、あっさりとロイは頷いた。
「その通りだ。まさかとは思うが、君も赫姫を訪ねるためにこの列車に乗ったのかね?」
仕方なく、エドワードも頷く。アルフォンスも頷いた。実際、それが事実なのだから頷くしかなかった。
「多分な。赫姫って通称は聞いてないけど、特徴は一致してる。過去と未来を見えるって評判の人物がいるって聞いて、賢者の石探すのに何か役立つかもって思ったんだ」
いつもなら、その手の話は聞き流すことが多い。先見だだの過去見だの、という能力はどうにも非科学的で胡散臭い。予言者でも同じ事だ。
そして錬金術師は基本的に現実主義者で、だからその手の能力をあまり信じない。
だが、今現在、何一つ有力な手がかりも情報も持っていなかった。八方ふさがりだ。行く当てもない以上、この際多少胡散臭くても、可能性は低くても、とりあえず行ってみよう、ということになった。
運が良ければ何かしらの情報は得られるかも知れない。例え得られないとしても、空振りには残念ながら慣れている。
話を聞いたのは、東の片隅にある村だった。賢者の石に関する情報を集めていたが、聞けたのは過去見を得意とする女性についてだった。そしてその女性をについて話した老人は、彼女を大絶賛し心酔してもいた。
なんでも、絶対に自分しか知らないはずの過去を言い当てた、のだそうだ。
過去だけでなく、未来も見る。孫の結婚相手の姿を予言し、見事言い当てたと聞く。そう言って、偉大なお人なんだよ、と続けた。
そのまま話を聞くと、老人はその人物が住む場所を良く覚えており、そして現在自分たちはその街へと向かっている。
「成る程。確かに、それならばその人物は赫姫ということになるだろうな」
お互いの目的地は同じだった。特徴も同じ。と、なれば同一人物という結論しか出てこない。
「胡散臭いとは思うんだけどさ」
「私も同感だがね。だが、彼女は本物なのだそうだ。それはそれは熱く語られたよ」
苦笑混じりにロイは告げる。そして確かに信憑性もある、と続けた。
「信憑性?」
「その少将は、ここ数年で急な出世を遂げられたんだ。それは実に運が良い、としか言えない状況でね」
早い話、その『少将』は実力不足なのだろう。家柄のおかげでイシュヴァール戦後、大佐にはなったが活躍をしたというわけでもない。単純に、大佐の地位にいた人間が戦争で減ったため、運良くその座についた人物だった。だが、運が良いだけなら大佐になれたならば御の字とも言える。
ところが、彼はその後まるで未来を読んだように次々と手柄を立て、出世した。そして現在は少将の地位を得ている。
「それが赫姫のおかげだってのかよ?」
「と、少将は少なくとも信じているようだよ。盲信していると言って良い」
「……盲信、か。なるほどな。オレが話を聞いたじーさんも、確かに盲信してるって感じだった」
おそらく、『赫姫』はある種、生き神であり教主なのだろう。彼女に過去や未来を告げられた者たちは信者ということになる。語られたときのことを思い出すと、それは非常に適切な表現のように思えた。
「つかその少将、頭悪ぃよな。自分に能力がないって断言してるようなモンだろ、それ」
「事実だから少将を庇うこともできないな。ともかく、そんな偉大な赫姫が私に興味を示した。だから、彼としては絶対に私と赫姫を逢わせることが使命ということになる」
だからロイに強引に休暇を与え、急遽赫姫の元へと向かわせた。ロイとしても渋々ではあったが承知し、中央から乗り継いでこの列車に到着した。
「そうして列車に乗ってみれば、良く見知った姿を発見したわけだよ」
「ふーん」
おそらく、その『良く見知った姿』は自分ではなく、アルフォンスのことだろう。
姿の大きい弟は、とにかく目立つ。列車内で座っていても、彼の姿は十分確認できるはずだ。だからすぐに見つけることができる。
「あの。その『赫姫』って、じゃぁ本当にすごい人ってことなんですよね?」
話を聞いていたアルフォンスが確認の言葉を口にする。弟は純粋ではあるが、結局は錬金術師なので多少の猜疑心を持たずにはいられない様子だ。無論、それはエドワードも同じだ。
「少なくとも、少将はそれはそれは熱心に信じていたから、彼にとっては『すごい人』だろうね」
「大佐も信憑性があるって思うんだよな?」
「彼が少将になったという事実を考えると、そう言わざるを得ないね」
少なくともロイにとっては、その少将とやらは無能力者と認識されているらしい。
「そっか」
元々、逢うつもりだった相手だ。だが、ますますこれは逢いに行った方が良さそうだ、と思う。
「そんで、大佐はその『赫姫』に逢う約束は取り付けてあんだよな?」
「話を通しておいた、と言われたからおそらくは逢えるだろうね。紹介状も渡されたしね。それで逢えなかったら、無駄足としか言いようがないが」
(ってことは、だ)
おそらく、ロイはほぼ間違いなく赫姫に逢うだろう。
赫姫自身がロイに興味を示している、というのだから、その可能性は実に高い。
そして一方で自分たちは、と言えば、約束を取り付けているわけではなく、突然相手に逢いたい、と押しかけるわけで、相手が頷いてくれる可能性は運次第と言える。
「ちなみに、実に気むずかしい女性だそうだ。だから、君たちに逢う可能性は高くないかも知れないな」
考えていることがわかったのだろう。そうロイが告げたが、はいそうですか、と引き下がるわけにはいかない。僅かな可能性でも、今は切実に必要だった。未だ『赫姫』の能力は半信半疑だが、彼女を訪ねると決めた以上、逢わなくては意味がない。
「逢わねぇって言うなら、オレの方から無理にでも逢いに行くだけだ」
断言すると、小さくロイはため息をついた。それは実にわざとらしい動作で、それなのに口元は笑みの形で曲がっている。
間違いなく、ロイはエドワードの発言を予測していたのだろう。その余裕ありげな様子がむかつく、と思ったが、とりあえず黙っておくことにする。
「君らしい返答だな。では、一つ忠告しよう」
そして彼はアルフォンスの同行を諦めた方が良い旨を告げた。理由は単純明快だ。鎧姿は目立ちすぎるし、何より街へ入れないだろう、とロイは言った。
「街に入れない?」
「これから向かう場所はね、鋼の。赫姫に魅入られた人々が集まってできた、地図上は存在しない街なのだそうだよ」
それは初めて聞く話だった。駅を降りて、しばらく歩かなくては到着しない、としか聞いていない。
「だから街には軍人もいない。赫姫を守るための用心棒はいるそうだがね。ちなみに、当然ながら街は武器の持ち込みは禁止だ。私も丸腰で行くようにと言われている」
「そんな街なんてあり得るのか?」
「ある、と少なくとも少将は仰っていて、私としてはそれを信じて従うしかない立場なんだ」
大仰に肩をすくめ、ロイは言う。それは本来、軍人としては見過ごすことなどできないほど、由々しい問題だろうに。
秘められた街。知られざる街。その中心には、未来と過去を見る赫姫。その赫姫を盲信する人々が作り出した、街。
「……そりゃ、確かに鎧姿じゃ入れなさそうだな。街の人間はみんな赫姫の信者ってことだろ?」
余所者で、更に鎧姿では、街の人々の警戒心はどうしても強くなるだろう。その上で無理に赫姫に逢おうとすれば、目立つどころではないはずだ。
「そういうことになるね。それでも、行くかね?」
弟は一緒に街へは行けない。それでも、赫姫を訪ねるか、とロイは問う。答えなんて決まっていた。だからエドワードは即答する。
「愚問だな、大佐。答えなんて決まってんだろ?」
「だろうね」
ロイもその答えを最初から知っていたのだろう。知っていた上で、エドワードに尋ねたに違いない。
(そう思うと、なんか癪だな)
いつでも余裕があって、女好きで、笑顔を絶やさない男。時々意地の悪い言葉を口にする男。だから、癪に障って仕方ない。しかも、彼は自分に向かって、ひどく甘い言葉を囁く男でもあった。
(けど、それでも)
どんなに癪だろうと、結論は変わらない。口を開き、ロイに向かってきっぱりと告げた。
「行く。オレは赫姫に逢う。逢って話を聞きたい」